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憲剛、小林悠とジュニーニョの教え。
初栄冠は「川崎の太陽」に照らされ。
posted2017/12/29 11:30
text by
いしかわごうGo Ishikawa
photograph by
J.LEAGUE PHOTOS
「フロンターレ、勝つよ!」
国立競技場へ向かう道すがら、育成コーチとして指導者の歩みを始めていた鬼木達に引率されていた少年は、テレビカメラを見つけると、そう宣言した。
2007年のJリーグヤマザキナビスコカップ決勝。
2005年のJ1復帰後、川崎フロンターレが初めて進んだファイナルの舞台だった。相手はガンバ大阪だったが、試合は0-1の惜敗。タイトルはお預けとなる。だが強豪としての階段を着実に登り始めていた川崎は、その後も「あと一歩」が届かない。リーグ戦では'06年、'08年、'09年で2位。カップ戦でも'07年、'09年は準優勝。そしてチームのサイクルも一度終焉を迎えた。
決勝戦の舞台に再び戻ってくるまで、川崎は10年の歳月を要している。
「まさかオニさんが監督になって……」
旧国立競技場はすでに取り壊され、大会名もルヴァンカップと改称された。冒頭、鬼木達に連れられてカメラに向かって勝利宣言をしていた少年は、トップチームのプレイヤーになっている。それが、板倉滉だ。'07年の国立の思い出は、いまだに鮮明だという。
「かなり覚えていますよ。遠足みたいな感じで、オニさん(鬼木監督)に引き連れられましたね。カメラが向けられると、『フロンターレ、勝つよ!』って言いました(笑)。ただまさか一緒に行っていたオニさんが監督になって、自分がプレイヤーとして(決勝戦を)迎えるとは思わなかったですね」
そんな巡り合わせもあって10年越しに臨んだルヴァンカップ・ファイナルの舞台だったが、クラブの歴史は動かせなかった。セレッソ大阪に0-2で敗戦。またも頂には届かなかった。元日の天皇杯準優勝を含めて今年2つ目となるシルバーメダルを握り締め、選手たちは表彰台を見上げて悔しさを噛み締めた。
あの大きな失意を味わった準優勝から1カ月後。
川崎を待っていたのは、奇跡とも言える最終節での逆転優勝だった。