マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
大学野球はプロまでの「執行猶予」?
野球が上手いだけ、ではダメなのだ。
posted2018/01/09 07:00
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
Kyodo News
少し前にこのコラムで社会人野球・東芝の存続決定について、この国の野球を支える屋台骨であると思うところを記したところ、思いがけず多くの反響をいただいた。
ならば、「学生野球」はどうなのか?
その意義は何か? どうしてこんなに長く(東京六大学は2018年で93年目)世の中の支持を得られたのか? 学生野球の“今”は、ほんとのところ、どのような現状なのか?
新たな興味と疑問が寄せられたテーマについて、私の知る範囲でお伝えしてみたい。
大学野球のことを、昔から「学生野球」という呼び方をする。私はこの“呼び名”がとても好きなので、この文ではその呼称を使わせていただきたいと思う。
と言って、別に堅苦しい話をしたいわけじゃない。今の実情をなるべく具体的に、ありのままにお伝えできればと思っている。
高校生が大学の練習に参加するのは、よい事だと思う。
つい先日のことだ。
親しくしていただいている高校野球の監督さんのお付き合いで、ある大学のグラウンドにおじゃました。その監督さんが預かる高校生の“練習参加”の日であった。
この選手は大学に進んで野球を続けてほしい、と監督が願う。ボクはあの大学で野球を続けたい、と選手が想う。では一度、大学の練習に参加させていただけないでしょうか?
大学にとっても、新たな“人材”とのまたとない接点になるし、選手にとっても、高校野球生活にこの上ない刺激となる。大学のグラウンドにやって来るのは、2年生の冬を迎えた高校生たちがほとんどだ。
現役の学生野球の選手たちと場所と空気を共有しながら、わずか3年か4年上の大学生たちが、自分たちとは比較にならないほどの充実した心身と野球技術を有していることを体感し、がく然としたり、この先の励みにしたり、一種の“カルチャーショック”を受けて目を覚ます。
「青田買い」などと横目で見る向きもないではないが、私はとてもよい事だと考えている。