マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
大学野球はプロまでの「執行猶予」?
野球が上手いだけ、ではダメなのだ。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byKyodo News
posted2018/01/09 07:00
2017年の六大学野球は、スポーツ推薦制度のない慶應大が優勝を果たした。「野球だけ」であれば、彼らは学生ではなくなってしまう。
大学野球の必修科目は、「社会性」である。
高校生の半分以上は、社会へ出ていく前に大学という“ワンクッション”がある。しかし大学院へ進まない限り、卒業したら社会へ出て行くしかしょうがない大学生にとって、最高学府で学び、身につけなければならない“必修科目”とは「社会性」であろう。
社会とは何か?
それは、「人が2人以上いること」と教わったことがある。
ならば、社会性とは何か?
「人が複数いることを意識できる資質」であろう。
まず、大学で野球をしている自分がいる。そしてその周囲には、学生野球に励む青年たちに期待を抱きながら見つめ、応援する人たちがいて、学生野球を経験して卒業した青年には、これまた大きな期待を持って社会で迎えようと待っている人たちが必ずいる。
そのことが見えているのか、そこに思いを馳せながら日々を送っているのか。
「学生野球人」にとっての社会性とは、そうしたようなものではないだろうか。
学生野球に、野球がちょっと上手いだけのアンチャンの居場所など、あってはならない。