球体とリズムBACK NUMBER
W杯予選を通った監督が辞任・解任。
ハリルも経験した悲劇が今回も続出。
posted2017/12/14 11:30
text by
井川洋一Yoichi Igawa
photograph by
Getty Images
「なぜ私が解任されたのかはよくわからないが、彼ら(コートジボワールの政治家たち)には生贄が必要だった。それは選手やスタッフではなく、監督だったということなのだろう」
2010年3月、ヴァイッド・ハリルホジッチはコートジボワール代表監督の座から引きずり下ろされた。エレファン(同代表の愛称)に2度目のW杯出場権をもたらしてから半年弱、南アフリカW杯本大会まで3カ月ほどの時点だった。その要因は2010年アフリカネーションズカップ、アルジェリア戦の敗北──彼の率いたコートジボワールが24試合目にして初めて喫した黒星だった。
「それまで、私はコートジボワール代表史上最高の(成績を残していた)監督だったが、あの試合がすべてを変えた。ただしこの仕事を引き受けた時から、こうした事態に陥る可能性は十分に理解していた」
「双方合意のもとで契約解除」なんて建前だ。
予選突破に導いた監督が、本大会での指揮権を剥奪される──。現日本代表監督も経験した理不尽な決定は、実はそれほど珍しいものではなく、このほどロシアW杯出場を決めた代表チームでも起こっている。
参加32カ国が出揃ってから、まだひと月ほどの現時点で、辞任も含めてすでに3件。あるいはその数は6月までにさらに増えるかもしれない。
ハリルホジッチ監督と同様に、協会側からいとまを告げられたのは、セルビアのスラボリュブ・ムスリン前監督だ。セルビア協会の公式リリースでは「双方合意のもとで契約解除」となっているが、現地のブラディミル・ノバク記者によると「もちろん、そんなものは建前だ」という。
同協会のスラビシャ・コケザ会長はかねてより、前指揮官がラツィオで目覚ましい成長を遂げる若手MFセルゲイ・ミリンコビッチ・サビッチを起用しないことに不満を持っており、ムスリンが1位通過という望外の結果をもたらしたにもかかわらず、彼と袂を分かった。これが真相だという。