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栗原恵「解雇して下さい」から1年。
大好きなバレーで今の100%を。
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byKiyoshi Sakamoto
posted2017/11/15 17:00
今もなお、その存在感はコート上の誰よりも強い。栗原恵は日本バレー界にとっての財産なのだ。
「やっぱり私はバレ―ボールが好きだなって」
折れそうな心を支えてくれたのは、至ってシンプルな思いだった。
「やっぱり私はバレ―ボールが好きだなって。もちろん好きだけじゃできないけれど、辞めようとか、辞めなきゃと思うシーンで、その時、その時にいつも支えてくれる人たちがいる。試合に出られないならここにいる意味はないから去ろうって思っても、引き留めてくれる。必要とされるってすごくありがたいことですよね。だから、今年はチームに恩返しをしようって思いました」
アテネ、北京と二度の五輪出場を果たした。華やかに見える選手生活の陰で、'10年には左膝半月板断裂、翌年には左膝軟骨損傷、'13年には右膝前十字靭帯損傷と三度の手術と長いリハビリを経験している。
ケガをする前の自分にピークを決めるならば、パイオニアレッドウィングスのエースとして活躍した'06年、当時は常に相手ブロックの上から鋭角に打てる、サーブでも絶対にポイントを取れる、という自信があり、「とにかく高く跳べばそこにトスが来て、強く打てば決まる、と思っていた」と振り返る。
ジャンプ力が落ちたことを嘆くのではなく。
あの頃よりも跳べなくなった自分を、ただ苦しいと思うこともあったが、今は違う。
「ケガをしてすぐの頃は、ケガをする前の自分と比べてしまって、葛藤が大きすぎて悩みました。でも今は違いますね。ケガをする前と今、体も感覚も違って当たり前。ケガをして、手術もして、リハビリもして痛みがなくなった今の自分の体でベストを見つけないといけないなって思えるようになりました」
確かに今はジャンプ力も落ちて、あの頃の感覚には程遠い。だが、上から打てなくなったと嘆くのではなく、指先を狙ったり、下ではなく奥へ打ったり、考え方を変えればまた違うバレーボールに触れ、楽しさを感じられるようになった。
大山だけでなく同級生の多くが引退し、昨シーズン限りで木村沙織や迫田さおり、共に全日本で戦った自身よりも若い選手たちもユニフォームを脱いだ。
「ここまで泥臭く続けるとは、自分が一番、思いもしなかった」という栗原は、自身のこれからをどう描いているのだろうか。