球道雑記BACK NUMBER
ドラフト直前の全治6カ月から2年。
日本ハム2位西村天裕を支えた人の輪。
text by
永田遼太郎Ryotaro Nagata
photograph byRyotaro Nagata
posted2017/11/02 11:45
高校生の清宮や東大の宮台に脚光が当たったドラフト会議。だが、社会人野球界のスター選手である西村は、即戦力として大活躍する可能性が高い。
ドラフト19日前に負った全治6カ月の重傷。
互いにとってギリギリの戦いの中で起きたアクシデント。
西村は左膝前十字靱帯を損傷し全治6カ月の重傷を負った。まるで悪夢としか言いようがなかった。
それから19日後に行われたこの年のドラフト会議では、チームメイトの青柳晃洋が阪神に5位で指名された一方で、自身の名前は最後まで呼ばれることがなかった。
そんな傷心の西村の夢を繋げようと、周囲は即座に動いた。
リハビリ中の選手を抱えるという選択と、周囲の声。
帝京大学・唐澤良一監督は、末永彰吾や加美山晃士朗といった選手を送り出したことで、厚い信頼関係にあるNTT東日本・飯塚智広監督に相談し、西村の入団を打診した。しかし、引き受けるNTT東日本側からすれば、リハビリ中の選手を抱えればそれだけのリスクを背負うことにもなる。慎重に協議する必要があった。
当時の複雑な心境について、飯塚監督はこのように振り返る。
「そのときは色んな立場の自分がいました。1人の青年の夢をかなえてあげたいという想いがあるのがひとつと、一方でNTT東日本の監督という立場もあるわけですから、ここで投げられるか分からない選手を獲っていいのかなとも思いました」
ところが、チームの反応は意外だった。
「ウチの会社はとても温かいので『(獲得して)大丈夫か?』なんて1人も言ってこなかったですし、むしろ『獲れ』と後押しすらしてくれました。そのときに『西村を大学の同期の青柳より、評価を上にしてプロに行かせよう』とするのが僕の仕事かなって思ったんですね。怪我をしたのは西村本人なので、この2年間をどんな想いで過ごしたか、僕が言うことではありません。ただ、本当に折れない心で過ごしてきた彼を、自分たちも一生懸命やって、彼をプロへ送り出してやろうと思って……覚悟を決めましたね」