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サッカー選手がリベリア大統領に!?
ジョージ・ウェアが政権奪取間近。
text by
フランク・シモンFrank Simon
photograph byBernard Papon
posted2017/10/26 11:00
ユニフォームを脱ぎ捨て、今はスーツとネクタイで戦っているウェア。“キング・ジョージ”はプレジデントになれるか?
あのペレでさえもスポーツ大臣止まりだった。
彼以前にもサリフ・ケイタ(マリ)やタラク・ディアブ(チュニジア)、チチ・カマラ(ギニア)、さらにはキング・ペレ(ブラジル)も政治家として活動したが、いずれもスポーツ大臣に留まっていた。
ウェアの場合は、野党である民主変革会議(CDC)の旗印のもとで、昨年から与党への対立候補として積極的に活動を展開していた。CDCはウェア自身が現役を引退した数カ月後に創設メンバーのひとりとして参加した政党であり、その後の13年間、彼は地道に政治活動に身を投じてきたのだった。対立者たちは彼の低学歴を指摘したが、そのことで民衆からの批判を受けることはまったくなかった。
汚職まみれの現政権に対し、改革の旗手として期待。
最初に立候補をはたした2005年の選挙でウェアは、1回目の投票では第1位となったものの、決選投票では40.8%の得票に留まり19ポイントの差でサーリーフに敗れたのだった。
2011年にサーリーフは再選(ウェアは立候補せず)を果たしたが、規定により3選はできない。後継者として名をあげたのが副大統領のジョゼフ・ボアカイ(72歳)だった。
だが政権与党である統一党(UP)に属するボアカイは、対抗勢力からすればよく言っても惰性の継続であり、悪く言えば現政権の腐敗の象徴であった。
そこで、革新の旗手として期待されたのが、51歳になったばかりのウェアだった。
3年前にウェアは、サーリーフ大統領の実子であるロベール・サーリーフを破って、首都モンロビアを含むモンセラド郡の上院議員に選出されている。同時に彼は、アブジャ(ナイジェリア)に本拠を置くCEDEAO(西アフリカ諸国経済共同体)でも積極的に活動した。
さらに彼は、政治的・経済的に人脈を構築する術を心得ていた。
妻クラルの母国であるアメリカとリベリア(テレビ局とふたつのラジオ局)で資本を投資し、アフリカ諸国の協会やクラブにスポーツ用品を提供する自らのブランド“ウェアスポーツ”をフランスに創設したのだった。