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広陵・中村の本塁打で甦った'85年夏。
清原和博が今も忘れない、あの瞬間。
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byKatsuro Okazawa
posted2017/08/25 17:00
1985年の清原和博。優勝だけをただひたすら目指し、ホームランの数は二の次だった……高校最後の夏。
「もう準優勝では誰も喜んでくれなかった」
優勝候補の本命・PL学園の4番・清原和博は準々決勝まで1本もホームランを打てていなかった。
その点は初戦から着実に積み重ねてきた中村とは大きく異なっている。ただ清原氏自身、あの大会ではホームランを欲していたわけではないという。
「あの夏、僕たちは全国制覇する最後のチャンスにかけていました。僕も優勝しか頭になかった。もう準優勝では誰も喜んでくれなかったですから」
1年夏から数えて5度目の甲子園、すでに甲子園通算8ホームランは歴代最多だった。彼が求めていたのは、ひたすら勝利だった。そして相手にだけでなく、己に勝つことを求めていた。
そんな中、準々決勝・高知商戦を前にふと、こんな心境になったという。
「もう高校野球はあと3試合しかない。そう考えたらとにかく悔いのないようにしようということだけで、考えが整理されていく感覚でした。他のことは何もいらないというか……」
「甲子園はキヨハラのためにあるのか!」
そんな青年に覚醒の瞬間が訪れる。
中山裕章から放った1発は聞いたことのない衝突音を残して、レフトスタンド50段のうち、33段目に突き刺さった。いまだ甲子園歴代最長とされる140m弾の映像はあらためて見返しても衝撃的だ。
そこから準決勝・甲西戦で2発。
そして宇部商との決勝ではともに1点ビハインドの場面から左翼、バックスクリーンへ2本の同点弾を放ったのだ。
「バケモノですね」
解説の渡辺元智氏(横浜高校元監督)は唸った。
「恐ろしい! 甲子園はキヨハラのためにあるのか!」
実況アナウンサーが叫んだ。
そして9回裏、PLがサヨナラで優勝を決めた瞬間、仲間と抱き合い、泣きながらバットを天に突き上げた姿は時を経て、伝説となった。