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広陵・中村の本塁打で甦った'85年夏。
清原和博が今も忘れない、あの瞬間。
posted2017/08/25 17:00
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
Katsuro Okazawa
あの夏がよみがえった。
センターバックスクリーンと左翼に描かれた2つの放物線。
広陵・中村奨成が準決勝の天理戦で今大会5、6本目のホームランを放ち、PL学園・清原和博の持っていた甲子園記録を塗りかえた。
記録は記録を呼び起こす。
あの事件以来、久しく聖地から消えていた「清原」の名前が映し出された。それに伴って32年前のあの夏が脳裏をよぎった人もいるのではないだろうか。そう、今回よみがえったのは記録よりも記憶だったような気がする。
1985年の夏。歴史に永遠に刻まれる伝説が生まれた。
「毎年、夏になると甲子園を思い出します。もう僕の手元には当時の写真も、甲子園の土も、そういうものは何も残っていないんですけど、ああ、こうだったな……というのは夏になれば思い出せますね。特にあの決勝戦は……」
この夏の甲子園が始まった頃、『Number』誌での連載記事「告白」において、清原氏はちょうど高校3年の夏を回想していた。
じつは、少年時代の記憶を最初からたどることや、PL学園1年生の頃などを思い出すことに、清原氏はとても苦労していた。脳裏に残っている断片を組み合わせ、時間をかけて細部を掘り起こしていく、という作業がずっと続いていた。ただ……なぜか、あの最後の甲子園については、驚くほど記憶が鮮明だった。
1985年。
日航ジャンボ機とともに520人の命が消えた、あの夏。
甲子園球場では1人の青年が伝説になったのだ。