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3度の大ケガ、リハビリ、引退危機。
FC東京・米本拓司、絶望からの帰還。
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2017/07/18 08:00
万感の思いを持って味スタへと帰還した米本。かつて将来の日本代表の中核候補と挙げられた男は、まだ26歳である。
復帰からわずか半年後のケガでは、心が折れそうに。
もう一度這い上がるためにスポーツ医療の世界的な権威として知られるラモン・クガット医師の手術を受け、リハビリで2カ月弱、現地に滞在した。
朝からずっとリハビリ漬け。ランチも病院で取り、夕方6時までほぼ一日を病院内で過ごした。
米本は過去2回の長期離脱において、地獄を味わっている。
孤独で、過酷なリハビリ。過去の取材ノートには、米本の悲痛をメモしていた。
「またあのリハビリをするんだったらサッカーをやめてもいいかなって、一度思いました」と復帰からわずか半年後に2度目のケガをした際は、それほど心が折れそうになった。
眠れない日々を過ごし、入院中にはじん帯を再び切る夢を見て飛び起きた。「嘘だろっていうぐらいの量の汗」だった。グラウンドに出てジョギングできるまで回復しても、今度はボールを蹴れないもどかしさとの戦いが待っている。「ボールを蹴りたい気持ちを抑えるだけで必死でした」と、4年前にインタビューした際に語っている。
元バルサのアフェライからかけられた励ましの声。
言うまでもなく、スペインでのリハビリも辛い日々には変わりなかった。しかし「毎日が新鮮な」環境でもあった。
病院に併設されたリハビリ施設には、世界中からアスリートが集まっていた。そのなかに米本のことを気にかけて、積極的に話しかけてくる選手がいた。
バルセロナに4年半在籍したストークの元オランダ代表MFイブラヒム・アフェライだった。
「リハビリをしっかり時間をかけてやっておかないでオランダに飛行機で帰ったら、(患部が)腫れて大変だった。ここでしっかりやった後で、日本に戻ったほうがいい」
親身になって、アドバイスをくれた。
「俺も(膝を)2回やっているんだとか、経験を語ってくれましたね。リハビリで集まってくる人たちのなかでもムードメーカー的な存在で、いろんな人としゃべっていました。自分が吹っ切れたのかどうかは分からないですけど、いろんな出会いがありましたし、新しい環境という意味では良かったなって思いました」