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日本卓球界ニューヒロインの決意。
平野美宇「絶対的なエースになる」
text by
城島充Mitsuru Jojima
photograph byNanae Suzuki
posted2017/05/28 11:30
平野の16歳9カ月での全日本優勝は、'88年の佐藤利香の17歳1カ月を更新する史上最年少記録だった。
子どもの頃からプレーしたことで生まれた“弊害”。
「フィジカルが弱い子どものころからプレーしてきたから、ボールを手だけで追ってしまうんです。下半身と連動させてラケットを振れるようにウエイトトレーニングも始めたし、体の使い方はもちろん、フォームも変えていきました」
だが、幼少期から培ってきた土台をいったん破壊し、新たな土台を一から作り直すのは、諸刃の剣でもある。スタイルを変えて初の実戦となった12月の世界選手権代表選考会で1ゲームもとれずに惨敗すると、これまで味わったことのない不安と向き合うことになる。
「守備型の持ち味だった安定感を捨てて攻めたら、パワーが足りない。このまま、自分の長所をぜんぶなくしてしまえば、誰にも勝てなくなって卓球界から私の存在が消えちゃうんじゃないか。そんなことまで考えて胸が苦しくなりました」
平野は中澤に正直な気持ちを伝えた。
「やっぱり、もとのスタイルに戻した方がいいと思います」
「本当にもとに戻っていいのか?」
中澤は逆に聞き返すと、弱気になった15歳をこう説得した。
「もとに戻れば、世界レベルで勝てないままだ。20歳になってからスタイルを変えようと思っても無理だ。でも、今ならまだ間に合う」と。
5番手で日本にいたほうが……と思ったことも。
そんなやりとりから8カ月後に開幕したリオ五輪に、平野は4番手のリザーバー(補欠)として帯同した。日本が団体戦で男女がそれぞれ銀と銅、水谷隼が男子シングルスで初の銅メダルを獲得するなかで、平野の姿は歓喜の風景の外にあった。
「リオまではずっと周囲にサポートしてもらう立場だったから、どういう形で代表の3人をサポートすればいいのかわからなくて戸惑うことばかりでした。4番手じゃなく、5番手で日本にいたほうがよかったのに、って思ったこともありました」