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フェルナンデスとベンチュラ。
若い速球投手の事故死を悼む。 

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芝山幹郎

芝山幹郎Mikio Shibayama

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photograph byGetty Images

posted2017/02/04 07:00

フェルナンデスとベンチュラ。若い速球投手の事故死を悼む。<Number Web> photograph by Getty Images

2014年から3シーズン連続で2ケタ勝利を挙げたベンチュラ。将来性の高い投手がまたもこの世から去った。

「14歳ぐらいにしか見えなかった」投手の急成長。

 ベンチュラは1991年6月にドミニカ共和国で生まれた。

 ひょろりとした少年のころから球が速く、ロイヤルズの野球アカデミーに入ったのは17歳のときだった。178センチの身長に対して体重が62キロ。童顔だったこともあって「14歳ぐらいにしか見えなかった」という逸話が残っている。

 彼は、マイナー・リーグの階段を1段ずつ上った。2013年9月にロイヤルズでメジャー昇格し、デビュー戦となったインディアンスとの試合で、早くも100マイル超えの速球を披露している。

 モーションもダイナミックで、面白い新人が出てきたなと感じた記憶がある。

 もっと印象的だったのは、2014年10月28日、ワールドシリーズの第6戦でジャイアンツと対戦した試合だ。2勝3敗と追い込まれた剣が峰で、彼は先発のマウンドを踏んだ。

 帽子には《R I P O.T #18(安らかに眠れ、O.T 背番号18)》の文字が書かれていた。同郷の外野手オスカー・タベラス(カーディナルス)が、2日前に22歳の若さで交通事故死したためだ。

ペドロ・マルティネスを目標にしていた男が……。

 この年のベンチュラは、ポストシーズンで好投した。

 地区シリーズの対エンジェルス戦では7回を自責点1に抑えている。ワールドシリーズに入ってからも、第2戦で5回3分の1を投げて自責点2。そしてハイライトとなったのが、この第6戦である。

 結論からいうと、ベンチュラは7回を0点に抑えた。

 被安打3、奪三振4、与四球5。勝負どころでは腕がしなった。7回に入っても100マイル超えの速球がうなった。タベラスの死に手向けられた勝利だった。

 そんなベンチュラ自身が……などと感傷的な口を利くのは控えておこう。

【次ページ】 「目標は故郷の英雄マルティネス」の言葉虚しく。

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