スポーツ・インサイドアウトBACK NUMBER
フェルナンデスとベンチュラ。
若い速球投手の事故死を悼む。
posted2017/02/04 07:00
text by
芝山幹郎Mikio Shibayama
photograph by
Getty Images
2017年1月22日、ロイヤルズのヨルダーノ・ベンチュラが、交通事故で死去した。25歳の若さだった。
アメリカ球界は2016年9月25日に「至宝」と呼ばれたホゼ・フェルナンデス(マーリンズ)をボート事故で失ったばかりだ。
フェルナンデスも24歳だった。あのまま伸びていけば、球史に残る投手となったはずだ。本拠地のマイアミでは、29勝2敗、防御率1.49という驚異的な通算成績を残した。ドジャー・スタジアムで1.37の防御率を残したあのサンディ・コーファックスに匹敵する数字だ。
フェルナンデスは、三振奪取のペースも素晴らしかった。
500奪三振に要した試合数は65で、これはドワイト・グッデン(61試合)、ダルビッシュ有(62試合)に次ぐ数字だ。ただし、500奪三振までに対戦した打者の数でいうと、グッデンが1754人で、ダルビッシュが1659人だったのに対して、フェルナンデスは1587人。このペースが続けば、20代で2000奪三振も可能ではないか、と私は思っていた。
少年時代に荒海を越えてキューバから亡命してきたという波乱の人生もさることながら、あの才能は、惜しんでも惜しみ足りない。
豪速球のベンチュラは「記憶に残る投手」だった。
ベンチュラは、「記憶に残る投手」だった。
フェルナンデスのように圧倒的な成績を残したわけではないが、そのパフォーマンスは印象深い。とくにあの速球。
アロルディス・チャップマン(ヤンキース)やケルヴィン・エレーラ(ロイヤルズ)のような救援投手ならともかく、7回を過ぎても100マイル超えの球を投げられる先発投手は、そう何人もいない。肩を並べられるのは、ジャスティン・ヴァーランダー(タイガース)、ネイサン・イヴォルディ(ヤンキース)、ノア・シンダーガード(メッツ)、カルロス・マルティネス(カーディナルス)ぐらいではないか。