プロ野球亭日乗BACK NUMBER
中日低迷は落合GMだけの責任か。
年俸削減に囚われた3年間の結末。
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2016/12/23 11:00
今季途中からチームを率いた森繁和監督と落合氏。2000年代の中日を知る野球ファンにとって、今季の低迷は信じ難く感じただろう。
監督時代の統率力を買ってオーナーはGM抜擢を決断。
高木守道監督体制の終焉が近づいた2013年夏過ぎに、白井オーナーが谷繁兼任監督案の是非を尋ねたことが落合GM誕生のきっかけだった。その席でチーム再建への様々な問題を話し合ったが、特に話題となったのが球団経営を圧迫している選手の年俸問題だったのである。
かねてから白井オーナーは球団フロントに、与えられた予算内での年俸抑制を求めてきた。ところが好成績を残した選手や実績のあるベテランが提示額を不満とすると、何がしかの“イロ”をつける、いわゆる“ゴネ得”を許す悪しき風習をなかなか断ち切ることができないでいた。そうして契約更改が終わって見ると、いつの間にか予算をオーバーするということが繰り返されてきたのである。
その中で落合GMが「自分が編成の責任者になって全てを任せてくれたら、年俸の削減もできる。それにはGMがいい」と提案。実は当初、白井オーナーの頭にあったのは自分のアドバイザー的な役職だった。しかし監督時代の有無を言わさない統率力を見てきたこともあり、「この男なら」とGMへの抜擢を決断したというのが経緯だった。
就任1年目に8億円削減も、上から目線の更改が軋轢に。
そうして落合GMはオーナーとの約束を、1年目から確実に実行した。
就任1年目の'13年オフには、選手に有無を言わさない形で総額8億円とも言われた年俸削減を断行し、周囲をアッと言わせた。特にこれまではチームの顔として優遇されてきた主力選手に対しても、容赦ない査定で大幅ダウンを求めた。ただ、そうした上から目線の更改が軋轢を生んできたのも事実である。
その最たるものが1年目の更改で、年俸1億9000万円から限度額を超える1億6000万円ダウンの3000万円を提示した井端弘和内野手への処遇だった。実質的な戦力外通告と言われたこの提示に、井端は退団、ライバルの巨人への移籍という道を選ぶこととなった。