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「松井は間違いなく巨人の監督になる」野村克也が語っていた“2人の本音評”…長嶋茂雄と松井秀喜をどう見ていたか?「思わず寒気がした」
posted2025/06/26 11:07

長嶋と松井が同時に在籍した1993~2001年の9年間、巨人と野村ヤクルトは3度ずつ、セ・リーグ優勝を分け合った
text by

阿部珠樹Tamaki Abe
photograph by
KYODO
※『最大のライバルが語る 野村克也「絶対に負けたくない敵だった」』(2013年5月9日発売、Number828号掲載)を特別に無料公開する。
しかし、長嶋をあまり天才と崇め奉るのは本人に対して失礼だろう。私が南海ホークスの監督をしていたころ、V9の途上にあったジャイアンツから相羽欣厚という外野手が移籍してきた。その相羽に、ジャイアンツの内情を聞くと、つぎのような話をした。
「長嶋さんと王さんがいつも、練習でも一切手を抜かずにやっているので、ほかの選手もやらないわけにはいかないんです」
長嶋のパーティーでの振る舞い
長嶋のチームメイトで先輩だった広岡達朗さんが面白い話を教えてくれたことがある。あるパーティーに長嶋とともに呼ばれたときのこと。会場に行くと、長嶋の姿が見えない。そのうちにパーティーははじまり、徐々に盛り上がってゆく。ふと見ると、会場の脇で、長嶋が「出番」を待っている。
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「一番いいタイミングを見計らっていたんだね。案の定、出てきたらすごい盛り上がりだった」
広岡さんは苦笑しながら話してくれたが、私は意外には思わなかった。ジャイアンツという人気チームで、いつもファンやマスコミの注目を浴び、自分がどう見られるかを考えながらふるまってきた長嶋らしいと納得した。人気のないパ・リーグで育った私などには真似のできないことである。そういう振る舞いをスタンドプレーと見ることもできるが、そこに長嶋の衰えない人気の秘密もあるのだろう。
長嶋が影響を受けた監督
私にはひとつの持論がある。監督は、自分が若いときに仕えた監督の影響を強く受けるというものだ。私の場合でいうと、鶴岡一人監督にはずいぶんきびしく指導され、反発もしたが、自分が監督になってみると、そのスタイルの影響を自覚することが多かった。選手をほめるよりもきびしく注文を出し、発奮させて力を出させるスタイルである。