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「いいえ欽ちゃん、それは違います」長嶋茂雄が巨人監督退任前に“絶対に許せなかった”人事「あそこで辞めるのが一番よかった…」名将はなぜ悔やんだか?
posted2025/06/29 11:00

2001年をもって巨人の監督を退任した長嶋茂雄。去り際には“ある美学”があった
text by

永谷脩Osamu Nagatani
photograph by
JIJI PRESS
日本野球界に偉大な功績を遺した長嶋茂雄。2001年をもって巨人監督を退任した長嶋を中心に、同年グラウンドを去った東尾修、仰木彬、そして星野仙一の“退任の舞台裏”に迫ったノンフィクションを特別に無料公開する。《初出『Sports Graphic Number2001/10/25緊急増刊号 長嶋茂雄 日本人に最も愛された男』「男の引き際。」》【全3回の初回/第2回へ】
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9月30日、東京は雨が降っていた。
2日前の退任会見の時、“今日の空のように爽やかな気分”と長嶋茂雄は言い切ったが、その夜は大粒の涙雨が降っていた。
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東京ドームに向うタクシーの運転手がしみじみと言った。
「オレが酒を憶えたのは16歳の時、長嶋さんのおかげなんだ。立大が優勝すると、池袋の商店街ではタダ酒をふるまってくれてよ。あれ以来、すっかり長嶋ファンよ。間違いじゃなかったネェ、手厚い別れをしてやってくれや」
「いいえ欽ちゃん、それは違います」
長嶋監督が本拠地で最後の指揮を執る。集まった満員の観衆は、それぞれの人生の思いを胸に、最後の姿を見守り続けた。長嶋茂雄とともに同じ時代を共有して生きてきた人、長嶋茂雄に憧れて、野球に興味を持ち始めた人、皆が時代を超えて生きた英雄の別れを惜しんだ。“長嶋~ッ”と叫ぶ声は、名残りを惜しむよりも、“ご苦労さん”という温かい気持ちのこもったものが多かったようにも見えた。
「スポーツ選手はいいですよネ、みんなから“ご苦労さま”と言われて、惜しまれて去っていけるのですから。我々、芸能人にはそれがないんです」
タレントの萩本欽一が、そんな話を長嶋監督にしたことがあった。長嶋監督の答えはこうだった。