サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
チームの継続性とゆるい師弟関係。
現U-19は「あの世代」に似ている。
posted2016/10/26 08:00
text by
了戒美子Yoshiko Ryokai
photograph by
AFLO
重く固かったはずの世界への扉はいとも簡単に開いた。
西野朗サッカー協会技術委員長の言葉を借りれば「まるで自動扉のように簡単に」開いた。世界切符をかけた一発勝負、準々決勝の相手タジキスタンは意外なまでに無抵抗で、結果的に4-0と大差での勝利。7大会連続でこの大会を取材しているのだが、その中でも最もドキドキ感のない、勝利を確信し安心してみていられる準々決勝の90分間だった。
立ち上がりから試合終了まで終始日本がペースを握り、ピンチらしいピンチもなし。終了のホイッスルと同時に歓喜に沸く選手たち、称え合うベンチ、中には涙する者も……と言いたいところだが、まるで勝ち慣れているチームかのように、その喜びは淡々としたものだった。もっとも、ロッカールームに下がってからは大いに盛り上がっていたとのことで、彼らが内に抱えていたプレッシャーの大きさもうかがわせた。
過去4大会も、日本は決して弱くなかった。
振り返れば、いずれも準々決勝で敗れて世界を逃したここ4大会、決して日本は弱かったわけではない。
鈴木政一監督で臨んだ'14年のミャンマー大会は、PK戦で北朝鮮に敗れた。試合中のPKを決めたエース南野拓実が、最後のPK戦で失敗してしまったわけだが、当時コーチで、現在はU-19の監督を務める内山篤は「あれで勝負弱いと言われるのは納得できない」と紙一重の差だったことを強調する。
'12年、UAE大会では'08年、'10年の“連敗”を重く見て、世界経験のある吉田靖を監督に担ぎ出した。最後は準々決勝でイラクに1-2で完敗したがこの時は、今回のタジキスタンとは比較にならないほどイラクは強かった。潔いまでの完敗ぶりに、エース久保裕也は「もう切り替えました」と試合翌日にはあっけらかんとしたものだった。
'08年のサウジアラビアと、'10年の中国での大会は、ともに韓国に世界への道を阻まれた。'08年大会では「この世代で主力として世界に行きたい」と意気込んでいた香川真司が岡田ジャパンに招集されたことで、準々決勝の前に帰国の途についた。彼がいたら結果が変わっていたかはわからないが、韓国には完敗した。
'10年の時は布啓一郎監督で臨み、韓国に2-3と肉薄しつつ敗れた。エースと目された宇佐美貴史がスタッフの支えなしでは立ち上がれないほど号泣していたのは、今でも忘れられない。