野球場に散らばった余談としてBACK NUMBER
阪神に“掛布二世”の長距離砲を──。
中村GMが次代に託したチームの未来。
posted2016/09/08 07:00
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph by
NIKKAN SPORTS
残暑は少しずつ落ち着いてきた。それでも、昼間は太陽が強く照り、汗が噴き出す。こんなとき、“関西の”電車はオアシスだ。
東京から来た知人に驚かれたことがある。
「昼間、どうして(車内の)電気つけてないの?」
明かりを消し、薄暗い車内が妙に心地よい。ちょうど1年前もそうだった。夏真っ盛りの8月、阪神のゼネラルマネージャー(GM)を務めていた中村勝広さんと乗り合わせたことがあった。
相変わらず、ほの暗い車中で雑談になり「それにしても暑いですね」なんて、たいした意味のないことを話の接ぎ穂にしたときだ。中村さんは急に真剣な表情になって、ちょっとかすれた野太い声で話し出した。
「そうなんだよ。鳴尾浜でやってる二軍の連中は過酷だよな……。これからはウエスタンも考えないといけない。午後4時くらいから試合開始にするとか。最終日は相手の移動もあるから、いままで通りでも仕方ないけど、せめて3連戦の最初2つは遅らせればいい」
真っ先に口にしたのは、若手選手への思いだった。
阪神の二軍本拠地・鳴尾浜球場でのウエスタン・リーグ公式戦は通常、午後0時半に始まる。炎天下で長時間プレーする、ナインの心身への負担を案じた。物腰柔らかい、66歳のダンディーらしく、温かいまなざしを注いでいた。
「生え抜きの若手が中心の阪神を作りたい」
タイガースへの愛情にあふれた人だった。
中村さんの「熱情」にもっとも触れた1人が、今季から指揮を執る掛布雅之二軍監督だろう。
同じ千葉県出身で、掛布が阪神の入団テストを受けたときには「部屋を自由に使っていいからな」と声を掛けてくれたという。もう40年以上も前の話だ。掛布は中村さんの6歳年下だが、同時代にレギュラーとして現役で戦い、苦楽をともにした間柄だ。何度も食事に出かけては、オンとオフの切り替えの大切さを学んだという。チームの強化を託された掛布は、いまも胸に秘めている中村さんの言葉がある。
「まったく若い打者が伸びてきていない。1人でも2人でも、若い選手が活躍することによって、チームは変わっていく。FAなどで強くすることも大事だけど、阪神や巨人という歴史と伝統があるチームは、若手が育って生え抜きの選手がチームの中心にならないといけない。そしてチームを引っ張っていく、そういう形を早く作りたいんだ」