野球場に散らばった余談としてBACK NUMBER
日の丸を背負う名誉とメダルの重圧。
安藤優也、長嶋監督の言葉を胸に。
posted2016/08/26 07:00
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph by
Getty Images
あの吉田沙保里がなすすべなく敗れ去った。インタビュアーの前で泣きじゃくっていた。悔恨の銀メダルをテレビで見届けた阪神の安藤優也は言葉を選びながら「でも、12年間、ずっと第一線でやっている。その精神力ってすごいことですよね」と言った。勝負は残酷だ。勝者か、敗者しかいない。その重みが痛いほどに分かるから、軽々しく思いを口にしないのだろう。
いったい、五輪とはアスリートにとって何なのか。達成感で胸をなでおろし、挫折感で歯ぎしりし、無力感で肩を落とす。さまざまな感情が交錯する熱狂の季節は、見る者の思いすらも巻き込みながら、とてつもない熱を帯びて、あっという間に過ぎていった。五輪はゴールなのか、スタートなのか、通過点なのか。何を得て何を失うのだろうか。
「そのときは分からないんだけどね。オリンピックが終わってから思うのは、特別なマウンドだったということです。若いときで、勢いだけで行ったけど、全員が、その試合に懸ける思いを持っていましたね」
安藤の自宅には銅メダルが飾られている。プロに入って15年目、38歳のいまも色あせることなく、心のよりどころになっている。
長嶋ジャパンの中継ぎとしてアテネ五輪に。
「まさか、オリンピックに出られるとは……。選ばれたときはどうしようかと、一瞬、辞退しようかともよぎったけど、あの経験はなかなかできない」
あの夏はギリシャ・アテネにいた。周りを見渡せば、そうそうたる顔ぶれだ。松坂大輔や黒田博樹、上原浩治、高橋由伸や宮本慎也……。猛者ぞろいの集団に当時、プロ3年目、26歳でセットアッパー右腕としての力量が買われ、いわゆる長嶋ジャパンに仲間入りしていた。
その前年、'03年は阪神が優勝し、ダイエー(現ソフトバンク)との日本シリーズを終えると、安藤はそのまま福岡ドームで行われた日本代表合宿に合流した。ブルペン投球を見た指揮官は「すごい球。立ち投げだけど、速くて重い」と評する。そして、アテネ五輪アジア予選を戦う札幌ドームへ。
「ミーティングでは長嶋さんも、とても熱かった。独特の言い回しでね。チームを1つにまとめようと、すごく新鮮でしたね」