ブンデスリーガ蹴球白書BACK NUMBER
清武弘嗣に1年間で起こったこと。
10番、怪我、そして――降格。
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byGetty Images
posted2016/04/30 08:30
欧州の舞台では一際小さくみえる清武だが、周囲からの信頼と評価は誰よりも大きかった。
2度の骨折で離脱中に、チームは大混乱。
ところが、昨シーズン終了後の6月、代表戦の練習中に右足の第5中足骨を骨折。約3カ月のリハビリに追われ、今季のリーグ戦は開幕から3試合を欠場した。
それでも復帰してからの9試合で、3ゴール4アシストを記録。清武が復帰する前まで3試合で勝ち点1しかあげられなかったチームは、9試合で勝ち点を10も積み重ねた。
しかし、11月の代表戦の練習中に再び、右足の第5中足骨を骨折してしまう。折れた箇所は微妙に異なっていたのだが、6月のときと同じ骨だった。さらに9試合の欠場を余儀なくされた。
結局、2月21日のアウクスブルク戦で復帰したのだが、チームは取り返しがつかないほどの混乱に陥っていた。
1月4日からシャーフが監督に就任したが、残留争いに巻き込まれたチームに必要な守備組織は作れないまま。成績が伴わないため、選手たちにはオフを返上でトレーニングやミーティングを課し、それが逆効果となった。ベンチから外れた選手の一部は公然と反旗をひるがえし、それが外部にもれ、スキャンダラスに報じられた。
最終的に、1勝10敗という成績でシャーフはハノーファーを去ることになった。残留争いのなかで、攻撃的なチーム作りに特長がある監督を招聘したクラブ首脳陣の判断ミスは明らかだ。それでも、清武はこう話す。
「でもオレにも、もっとやれるだけのチャンスはあったから。シャーフ監督のもとで結果が出なかったのも、オレの力不足だと思います」
データが物語るハノーファーの清武依存。
やはり、本人にとっても、チームにとっても悔やまれるのは、怪我による2度の離脱だ。
ハノーファーがいかに清武に依存していたか、データは如実に示している。
清武の『欠場』した12試合 勝ち点4 (1試合平均、0.33点) 得点9
清武の『出場』した19試合 勝ち点18(1試合平均、0.95点) 得点19
『キッカー』誌の集計で4ゴール、7アシストを記録している清武は、出場した試合ではチームのゴールの57.9%に直接関与している。