“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
岩波拓也と植田直通が紡いできた5年半。
U-23代表で蘇った「最強コンビ」。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakuya Sugiyama
posted2016/01/26 07:00
13日の北朝鮮戦で前半5分、CKに合わせて先制した植田(5番)を中心に歓喜する岩波(4番)たち。チームはこのまま1-0で逃げ切り勝利した。
ベンチで見守る植田の気迫。
そして、U-20W杯出場権をかけた、準々決勝のイラク戦。
スタメン出場の岩波に対し、植田はベンチスタートと、変わらぬ図式のままキックオフの笛が鳴る。
「出番が来たら、全力を尽くす。来なくても、世界へのキップを取るために、裏方として全力を尽くす。それしか考えていなかった」
気迫を持ってベンチで戦況を見つめた植田は、率先してベンチワークを手伝いつつ、出番を待った。「U-20W杯では絶対にレギュラーを奪ってやる」という強い決意を抱きながら……。
しかし、イラクの圧倒的な攻撃力の前に、終始押し込まれたあげくに2失点を喫し、1-2の敗戦。タイムアップのホイッスルが鳴り響いた瞬間、岩波はその場でうなだれていた。
「バンッ!!!!!!」
その時、物凄く大きな音が記者席まで響き渡った。
驚いてその音の先を見ると、植田がベンチの壁を叩いていた。そして頭を抱え、壁に寄りかかったまま、しばらく動かなかった。
植田は、誰よりも悔しがっていた。
ピッチ上にいる誰よりも悔しがっている植田の姿を目の当たりにし、筆者は驚きよりも心を打たれた。
彼はこの大会中、1秒も出場することができなかった。相棒の岩波はレギュラーとして出場し続けており、モチベーションを保つのは非常に難しかったはずだ。その中で、彼は悔しさに耐え、チームの勝利を本気で欲し続け、サポート役に徹し続けた……。
「悔しかった。俺はこのチームのために何もできなかった。ベンチスタートでも、チームを盛り上げたかったし、いつでも出られるように準備をしていた。でも出場できなかったし、チームの勝利に貢献できなかった。自分の力不足を感じたし、自分にむかついた」
この姿を見て、「植田は必ず主軸として代表の舞台に帰ってくるはず」と確信を抱いた。その代表の舞台とは、五輪代表とA代表。誰よりも強烈な闘争心と身体能力を持ち合わせた彼なら、この経験をバネに必ずより成長をしてくれると。
それは岩波にも当てはまった。
「もう一度世界に出て、あの屈辱を晴らしたかった……。守りきれなかった自分に悔しさしかない」
ブラジル戦での屈辱、そしてイラク戦での屈辱。2つの屈辱をピッチで体感した彼だからこそ、それをより成長するための礎にできると――。