One story of the fieldBACK NUMBER
金本新監督が惚れ込んだ“義”の男。
片岡篤史コーチの「厳しさと懐」。
posted2016/01/24 10:40
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
NIKKAN SPORTS
「おう。また、よろしくな」
射貫くような目でじろっと見られた。背筋が伸びる。知り合って時間が経っても、緊張する。そんな人だ。
阪神タイガース、片岡篤史打撃コーチ。4年ぶりの現場復帰である。
キャンプの足音が近づく今、戦力不安を覚悟する金本知憲監督が唯一、最強だと断言するのが自らが集めたコーチ陣だ。
10月17日、金本監督は度重なる球団首脳の説得に対して、ついに受諾の返答をした。そして、すぐに電話をかけたという。
「片岡ですね。それと矢野(燿大)だった。とにかくやってくれと」
就任後にこう明かしている。最強コーチ陣の中でも真っ先に声がかかったのが片岡コーチだった。
片岡篤史の“けじめ”の付け方。
目に焼き付いている光景がある。
前回、打撃コーチを務めたのは2012年、和田豊監督就任1年目だった。豪華な顔ぶれ、ふくらんだ期待とは裏腹に借金20の5位に沈み、優勝した巨人には31.5ゲーム差をつけられた。とりわけチーム得点、本塁打はリーグ最低だった。
7月、8月……。シーズンが深まるにつれて責任問題が浮上する。練習を見守っている監督以下、コーチ陣の様子もどこかそわそわしている。そんな中で片岡コーチはいつも同じ場所に、同じ表情で立っていた。打撃ケージの真後ろだった。
試合前の練習、この時間は目標を失ったチームの首脳陣にとっては苦痛だろう。中でもベンチにもっとも近い打撃ケージ裏は“針のむしろ”だ。OB、評論家がやってきて、チーム状況をあれこれと聞かれる。責任を感じながら、惨状を説明しなければならない。だから、負けが込むと、だんだんとこの場所に人が少なくなっていく。ただ、片岡コーチは練習時間の最初から最後までここを離れなかった。ただの1度も。
9月末、片岡コーチが辞意を申し入れた。球団が慰留しても決意は固いという。これを知って数人の選手は直談判に行ったという。