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昔から“持っている男”だった――。
山田哲人を巡る関係者の重要証言。
posted2015/11/06 18:20
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph by
Hideki Sugiyama
宝塚リトル時代のチームメイトで、タイガースの育成選手を経て現在は「和歌山箕島球友会」に所属する穴田真規は、JR箕島駅からタクシーで15分ほどのところにあるマツゲン有田球場で汗を流していた。
「卒団する前の試合の、最後の最後の打席でレフトスタンドに打ったホームラン。あれはめっちゃ覚えてます。去年、神宮で記録(日本人右打者のシーズン最多安打)塗り替えた時も満塁ホームランやったでしょ。持ってんなあって思いましたね」
わずか数時間前に、まったく同じ言葉を聞いたばかりだった。証言者は山田の父、知規である。家族として、哲人のプロ入りを意識し始めたのはいつ頃かと尋ねた時のことだ。
「高3になってからぐらいですかね。練習試合とかにスカウトの方がたくさん見に来られるようになって、あれ? みたいな感じで。スカウトの方が来られてるっていう試合で、必ずホームラン打つんです。持ってるなあって……」
甲子園でも稀有なチャンスをものにしていた。
高3の夏、甲子園へのラストチャンスとなった大阪大会でのPL学園戦では、熱中症でフラフラになりながら土壇場の9回に同点に追いつく2点タイムリー。念願だった初めての甲子園でも、天理戦でホームスチール、聖光学院戦でホームランとビッグプレーを連発している。当時の履正社主将で、今春から高校の教職に就いた江原祥太が教えてくれた。
「あのホームスチールは甲子園の前に徹底して練習したんですが、いくつか条件が決まっていました。山田が三塁ランナーであること、投手が左であることとか……」
天理戦の5回、条件にピタリとはまるシチュエーションが訪れる。リードをとる一塁走者がわざと転倒し、投手が牽制球を投げるモーションに入った瞬間、その背後でスタートを切った山田は一、二塁間にランナーが挟まれている間にホームへと駆け込んだ。「一度やったら警戒される。何年間かはもう使えないプレーだと言われていました」。山田はその稀有なチャンスを見事にものにしたことになる。