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「誰も気づいてくれないんです」
黒田博樹が秘かに成し遂げた偉業。
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph byKosuke Mae
posted2015/05/22 11:30
黒田博樹の座右の銘「雪に耐えて梅花麗し」は、明治5年に西郷隆盛が作った漢詩の一節である。
「だから、人生の節目ってあるんですよ」
「天狗になってしまうということも含めて、まず、大学の進路が変わっていたでしょう。僕は専修大学に行って、『甲子園に出た選手には負けたくない』という気持ちでやっていた。そういうモチベーションは確実にあった。他の(強豪)大学に入っていたら、そういう気持ちも無く、そこで潰れていたかもしれない。だから、人生の節目ってあるんですよ」
専修大に進んだ'93年の春、上宮高校の後輩たちはあっさりとセンバツ出場を果たし、さらには初優勝まで遂げてしまう。その事実もまた、「甲子園組に負けじ」という黒田の執念を燃えたぎらせる材料であったかもしれない。
黒田がひっそりと成し遂げた、日本一の記録とは?
ともかく黒田は牛のようにひとつひとつ歩みを進め、広島、ロサンゼルス、そしてニューヨークを股にかけ、あの失意の朝から20余年が経った今年の4月4日、ひっそりと、過去のどの甲子園球児も、それどころか歴史上のどのプロ野球選手も到達したことのない日本一の高みに登りつめた。
場所はナゴヤドーム。試合は2回裏、ドラゴンズの5番・福田永将をアメリカ仕込みの「バックドア」で見逃し三振に斬って取った瞬間だった。野茂英雄氏を抜いて、「日米通算の登板イニング数」が歴代最多となったのだ。
「そうなんですよ。誰も気づいてくれないんです(笑)」
3027と2/3イニング。これまで野茂氏が保持していた記録だ。黒田はそれを超えた。しかも「大卒での3000イニング」となると、過去には往年の大投手、若林忠志氏(元タイガース、オリオンズ)と、村山実氏(元タイガース)の2人しか達成したことのない数字だ(4月25日、黒田は村山氏の記録も超えた)。黒田自身は、通算登板イニング数というものの価値をどう捉えているのだろうか。