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「誰も気づいてくれないんです」
黒田博樹が秘かに成し遂げた偉業。
posted2015/05/22 11:30
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph by
Kosuke Mae
「逆の方に変わっていたんじゃないですか。ヤバい方に」
ある「人生の節目」について語った時、野太い沈着な声色が俄かに熱を帯びた。広島のマツダスタジアム、一塁ダグアウト裏に設けられた会見室でNumber878号のインタビューに答えてくれた黒田博樹が、24年前のある冬の日に思いを馳せていた。
「現時点が無い……今の自分が無い可能性もある。やっぱり、ひとつの出来事で人生は変わると思いますね」
<センバツ推薦の上宮高校が辞退>
「毎日新聞」大阪版の社会面にこんな見出しが刷られたのは、1991年12月28日の未明のことだ。前月に発売された宮沢りえのヌード写真集が記録的に売り上げを伸ばしている最中で、海の向こうでは1週間前にソビエト連邦が消滅していた。黒田が人生のターニングポイントを迎えたのは、そんな日の朝だった。
甲子園という青春を奪われた黒田の、意外な言葉。
「高校3年時に公式戦登板なし」というエピソードの陰に隠れている事実だが、実は黒田は大阪・上宮高校3年の春、投手陣の柱として甲子園のマウンドを踏んでいた可能性があった。'91年、高2の秋に新チームで臨んだ近畿大会で、ロングリリーフとしてスライダーを武器に際立った結果を残し、チームの準優勝に貢献していたのだ。翌春のセンバツ出場は間違いない。夢の晴れ舞台は目の前だった。
だが、黒田は甲子園で投げることを許されなかった。同校が出場辞退を余儀なくされたからだ。当時の監督の体罰問題が表面化したためだった。
理不尽に青春を奪われた当時の心境について、黒田は多くを語らない。しかし、「甲子園に出ていれば人生は変わっていたか」と問われれば、「変わった」と答える。それも、「ヤバい方」に。