フィギュアスケート、氷上の華BACK NUMBER
プルシェンコの現役復帰を徹底検証!
フィギュアの偉大なる“皇帝”の足跡。
text by
田村明子Akiko Tamura
photograph byAkiko Tamura
posted2015/04/27 10:40
1997年の「スケートアメリカ」、14歳のプルシェンコの貴重な写真。五輪金メダル以外での優勝回数では、世界選手権3回、欧州選手権7回、GPファイナル4回、GPシリーズ通算22回と圧倒的な成績を誇る。
五輪連覇という目標と、一度目の競技復帰。
トリノ五輪後アイスショーに出演し、ロシアでは政界にも進出していたプルシェンコが、バンクーバー五輪を目指して復帰するという噂を聞いたときは、私自身も含めて誰もが話半分に受け止めた。さすがの彼も数年で体重も増え、ショーで跳ぶジャンプも難易度ががっくりと落ちてきていた。
だが3年ぶりに戻ってきた2009年10月のロステレコム杯で、プルシェンコはあっさりと優勝した。体重もしぼり、4回転も3アクセルもみごとに戻してきていた。このとき2位だった小塚崇彦は、こう感想を述べている。
「現れたとたんに、本当の五輪チャンピオンが氷上にいると思いました」
一度も4回転を跳ばない選手に負け、二連覇ならず。
復帰を決意したのは、やり手のプロデューサーである妻のヤナ・ルドコフスカヤに説得されたのだという。プルシェンコは2010年1月のタリン欧州選手権で優勝後、私にこう語った。
「妻に、あなたなら五輪を二連覇できる、と言われたとき、最初はとても無理だと思いました。トレーニングを開始して、朝起きると体が全く動かない日もあった。ベッドから起き上がるのに30分もかかったこともあります」
それほどの思いをして二連覇を目指したバンクーバー五輪だったが、27歳のプルシェンコは僅差で銀メダルに終わった。SPでもフリーでも4回転を成功させたのに、一度も4回転に挑まなかったエヴァン・ライサチェックに負けたことは、本人も納得がいかなかったようだ。
「昔の競技仲間が懐かしい。ウルマノフ、ストイコ、アレクセイ(ヤグディン)、キャンデロロなど。みんなそれぞれ個性豊かで、本物の男だったという気がする。今は変わってしまいました。フィギュアスケートも、人間も」
二連覇を逃した後、プルシェンコは単独取材でこう口にした。昔の競技仲間たちは、コーチになったり、コメンテーターになったり、もちろん現役は誰も残っていなかった。