オリンピックへの道BACK NUMBER
上村愛子、全力を尽くし笑顔の4位。
5度目の五輪は、成熟した人間として。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byKaoru Watanabe/JMPA
posted2014/02/09 11:45
演技を終え、ライバルたちと健闘を称えあった上村愛子。メダルに手は届かなかったが、その表情に後悔の色は全くなかった。
疑問の採点も、上村はすっきりした笑顔だった。
おそらく、カーニーの滑りを観て、上村の銅メダルの可能性を考える人は少なくなかったはずだ。周囲でも、日本人にかぎらず、微妙な表情を浮かべる人がいた。
上村も、カーニーの滑りを見てこう思ったと言う。
「これは表彰台に乗ったかなと思いました。けれど順位の数字を見て、『3』と出た時に、『はい、分かりました』という感じでした」
以前、選手からこんな話を聞いたのを思い出す。
「ジャッジに名前を覚えてもらうと、ちょっとしたミスをしても点数を出してもらえるんです」
また採点競技は、順番が最初の方の選手は点数が抑えられがちだとよく言われる。
そんなどこかもやっとした感覚を残し、試合は終わった。
しかし、上村は笑顔だった。穏やかな、すっきりした笑顔を浮かべていた。その表情は心から満足しているように見えた。
1つずつ順位を上げてきた過去4度のオリンピック。
ソチは、上村にとって5度目のオリンピックだった。
高校3年生で出場した1998年の長野五輪は「ただ、楽しかった大会です」。堂々、7位入賞を果たした。
ワールドカップ総合2位になるなど世界のトップクラスの一人となって迎えた'02年のソルトレイクシティ五輪では「メダルを取らなくちゃと意識しすぎて、プレッシャーに負けたところもありました」。6位の成績を残した。
5位となった'06年のトリノ五輪は、直前の怪我もあり、十分な調整ができないままでありつつも、「自分に何が足りないんだろうと考えた」大会だった。
トリノでの問題意識を土台に成長した上村は、'07-'08年ワールドカップ総合優勝、'09年世界選手権金メダルなどの実績を築きバンクーバー五輪に臨んだが4位。「なんで一段一段なんだろう」と涙を流した。
その後、1年の休養を経て「自分にはスキーしかない」と思い定めて復帰を決断した。