欧州サムライ戦記BACK NUMBER
ついにイタリアへ旅立った本田圭佑。
実り多きCSKAでの4年間を振り返る。
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byRussian Look/AFLO
posted2013/12/18 10:30
雪のちらつくモスクワに別れを告げ、念願の地イタリアへ。4年間のロシア生活は、本田が高く羽ばたく準備をするには十分な時間だったのだろう。
安定感のある本田のプレーには高い評価が。
CSKAでのハイライトは、'12-'13シーズンになるだろう。前シーズン得点王のセイドゥ・ドゥンビアがケガで戦線離脱し、ロシア代表MFアラン・ザゴエフが2度の退場などで合計6試合に出場できないなかで、本田は孤軍奮闘する。4-2-3-1のシステムでトップ下を主戦場とし、ウインターブレイク前の18試合で7ゴールを叩き出した。
旧ソ連代表で辛口評論家のアレクサンドル・ブブノフは、本田こそがCSKA躍進の立役者と語った。
「ジャゴエフは消える時間が長いが、本田のプレーは常に安定している。彼はゲームの流れを読んでプレーし、チームに必要なことも理解している」
'13年3月のリーグ再開後は、ケガに悩まされた。国内カップを含めて公式戦6試合の欠場を余儀なくされるが、ピッチに戻ってきた本田は確かな貢献を果たす。
リーグ制覇が現実的となった5月4日のテレク戦で、本田は64分から途中出場する。背番号7の登場で、ピッチの色彩は劇的に変わった。スウェーデン代表のセントラルMFラスムス・エルムは、試合後に「選手交代に救われた」と明かした。
「1-0でリードしていたけれど、後半の序盤は相手に主導権を与えてしまった。そこで本田が入ってきて、ゲームが改善された。しっかりとボールをキープし、試合の流れを調整してチームを助けてくれたんだ」
ボランチでの起用は監督の信頼の証しだ。
'12-'13シーズンのCSKAは6シーズンぶりのリーグ優勝を果たし、ロシアカップも制した。公式戦28試合出場でチーム2位の9ゴールをマークした本田は、疑いなく2冠達成の立役者である。
本田の加入後のCSKAモスクワは、毎シーズンが野戦病院のようだった。とりわけ中盤から前線に、ケガ人が絶えなかった。
本田も数カ月の離脱を強いられた時期があったが、誰よりも安定感の高いプレーを見せたのは彼だった。レオニード・スルツキ監督がときにボランチで起用したのは、ケガ人続出だけが理由ではない。ゲーム全体を見渡せるビジョンと勝利に貢献する姿勢が、チーム内の誰よりも抜きん出ていたからである。