野球善哉BACK NUMBER
マウンドに立つ背番号「90」と「70」。
楽天・宮川、ヤクルト・八木の再出発。
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byNanae Suzuki
posted2013/06/19 12:40
二軍時代からのファンも多い八木。好投が報われず完封負けを喫することも多いが「味方が0点の時は、自分も0点に抑えなければいけないんです」とコメントしている。
初めて見た、背番号「70」のレプリカユニフォーム。
ファンからサインをせがまれたヤクルトの左腕・八木は、差し出されたレプリカユニフォームを見て頬を緩めた。そのユニフォームの背中には「70」とあったからだ。
「見つけてきました」と誇らしげにファンが言うと、八木は「初めて見た」と笑顔を見せた。
入団5年目、一軍に初昇格したのが昨シーズン末のことだったから、八木の知名度は低い。それどころか、背番号「70」のユニフォームが売られていることなど、八木からすれば驚きという感情しかなかった。
「一軍で我慢して使ってくれているっていうのが大きいです。やっぱり、想像するのと実際に一軍の打者と対戦するのとでは、全然違いますからね。もっと期待にこたえないといけない」
ドラフト2位指名され、「金田二世」として注目を浴びたが……。
これまでは決して順風満帆ではなかった。
八木は'08年のドラフト2位でヤクルトに指名された。
甲子園出場経験はないが、球速以上に手元で伸びるストレートで、愛知・享栄高当時から評判の投手だった。高校3年の6月、同じ年に中日に2位指名された伊藤準規のいる岐阜城北との練習試合で、17奪三振の圧巻投球。伊藤を見たさに訪れたスカウトを釘づけにしたのは、むしろ八木の方だった。
ヤクルトは、'08年のドラフトで八木以外に1位で赤川克紀(宮崎商)、4位で日高亮(大分・日本文理大付)を指名している。ヤクルトは全般的に左投手の層が薄かったから、その期待を込めて一度に3人の高校生左腕が指名されたのだった。
甲子園で活躍しており高校JAPANにも選ばれた1位指名の赤川に対し、それほど分かりやすい実績が無かったはずの八木に掛けられた期待は、意外に大きなものだった。
八木は左投手であること、大投手・金田正一が享栄出身であることを結び付けられ、「金田二世」として期待されたのだ。入団時に、八木が背負ったのは「34」。金田が、ヤクルトの前身・国鉄スワローズで付けた番号である。
ところが、八木は1年目に左肩を故障すると、2年目にはファームでの登板すらなく、その存在は球団首脳陣の目から遠のいていったように見えた。
そして2011年、八木の背番号は「70」に変更された。