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広島、浦和でオシムの愛弟子が躍動!
「日本らしいサッカー」'12年の現在地。
text by
茂野聡士Satoshi Shigeno
photograph byTakamoto Tokuhara/AFLO
posted2012/12/29 08:01
クラブW杯5位決定戦、2得点を挙げチームを勝利に導いた佐藤寿人。現在、ザックジャパンに呼ばれることは少ないが、オシム監督時代には定期的に出場機会を得ていた。
EUROでのイタリアと広島や浦和の類似点とは?
広島や浦和で独特のスタイルを築き上げているミシャだが、彼の哲学を裏づけるエピソードがある。
EURO2012のグループリーグ初戦、イタリアvsスペインが行われた翌日のこと。浦和のチーム練習後にミシャは突然、若手選手を集めて20分ほど“青空教室”を行った。高卒2年目のボランチ、小島秀仁は、そのとき指揮官から与えられたメッセージをこう振り返った。
「今回のEUROでは、スペインよりもイタリアを見て学んでほしいと言われました。確かに、僕たちが目指す形と似ている部分を感じます」
EUROでのイタリアは、ミシャのような特殊な可変システムではないにしろ、3バックと4バックを使い分けていた。
3バックではリベロ、4バックではボランチをこなす万能性を発揮したデロッシがチームの心臓を担い、最前線のディナターレが最終ラインの裏を突く――。前者に今季の浦和の中盤を支えた阿部勇樹を、後者にミシャが広島時代に最前線で起用し続けた佐藤寿人の姿をミシャがダブらせても不思議はない。
ミシャのシステムに窺えるイビチャ・オシムからの薫陶。
そんなミシャが、イビチャ・オシムと師弟関係にあったことも興味深い。
オシムがシュトゥルム・グラーツで監督を務めていた頃、アシスタントコーチがミシャだったのは今となっては有名な話である。
そのオシムはジェフ千葉や日本代表を指揮した際、フォーメーションや選手の配置が目まぐるしく変わる“考えて走るサッカー”を標榜した。
そしてミシャはオシムの影響を色濃く残しながらも、攻守において一層オートマチックな形を熟成させて独自の可変システムを開発した。語弊を恐れずに書くと、約束事があると力を発揮しやすい日本人の特性を捉えた「日本らしいサッカー」を、オシム以上にシステマチックな形で目指しているように映る。
このミシャ・スタイルの下で円熟期を迎えているのが、鈴木啓太である。