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高校野球監督からプロ野球コーチへ。
日ハム新ヘッド、阿井英二郎の半生。
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2012/12/05 10:31
28歳でプロ野球の現役引退。33歳の時につくば秀英高に地理歴史科教員として着任。野球部を創設して創部3年目にして夏の県大会ベスト8へ。2005年から川越東高。2009年秋の県大会でベスト4進出。栗山監督とはヤクルト時代に5年間チームメイトだった。
一大決心だったのではないかと想像する。
先日、川越東(埼玉)高校の監督、阿井英二郎が日本ハムのヘッドコーチに就任するという発表があった。
8年ほど前、阿井がまだ茨城・つくば秀英高校に勤めていた頃にじっくりと話を聞く機会があった。そのとき、阿井はこんな風に語っていたものだ。
「野球って、新聞とかで毎日報道されてるからものすごい大きな世界かと思ってたけど、実際は、野球に携わってる人なんて、ほんの数パーセントなんだよね。でも、たとえば医療であれば、ほとんど全員が何らかの形で携わってるわけじゃない。それを考えたら、なんて小さな世界だったんだろうと思ってね。そのことを実感ができただけでも、違う世界を知ってよかったよ」
こう思えたとき、阿井は、ようやくプロ野球というきらびやかな世界と決別できたのだ。
野球エリートだった阿井を驚かせた“朝の通勤ラッシュ”。
阿井は1983年に、東京農大二高(群馬)からドラフト3位でヤクルトに入団。ヤクルトとロッテで計10年間プレーし、1992年に現役を退いた。
その後は、医療機器メーカーで働きながら、日大文理学部の通信課程に4年間通い、教員免許を取得した。
野球の世界しか知らなかった阿井にとって、最初のカルチャーショックは、朝の通勤ラッシュだったという。
「冬は窓ガラスが曇ってるんだよね。外は寒くて、中は暑いからさ。俺、一回、二日酔いのサラリーマンにゲロ吐かれたことあるんだよ。もう、たまんないよ。帰りは帰りでさ、11時ぐらいに電車に乗ると、ワンカップのお酒とかをあおってる人がいるんだよな。もう、なんだこれ? って」
スポットライトを浴びた経験を持つ人間にとって、そのギャップは相当なものだったはずだ。