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監督と火花を散らしてまでも貫いた、
権藤博の揺るがぬ「ダンディズム」。 

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鷲田康

鷲田康Yasushi Washida

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photograph byHideki Sugiyama

posted2012/10/30 10:30

監督と火花を散らしてまでも貫いた、権藤博の揺るがぬ「ダンディズム」。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

若手の育成や山井の抑え起用など手腕を発揮し、投手王国と評される中日の投手陣を束ねたが、その一方で高木監督と対立することも多かった。

第5戦、9回での岩瀬の起用がはまっていれば……。

 権藤コーチの継投は、常にこういう計算と読みで組み立てられている。そして何よりその自分の読みに揺るぎない自信を持ち、周囲がアッと驚く奔放な策を打つ。そうして大向こうを唸らせることこそが、権藤博という野球人の真骨頂であり、この男の「ダンディズム」でもあるわけだ。

 ファイナルステージの行方を分けた第5戦。

 権藤コーチは「延長12回までを考えた」と、同点の9回に岩瀬仁紀投手をマウンドに送り出した。

 9回を岩瀬、10回と11回を浅尾、そして最後を山井という計算だった。監督がすでに“見限って”いたベテラン守護神に、この大事な場面を託す……いや託せる。それこそ権藤コーチの「ダンディズム」であり、これがはまれば、まさに大向こうを唸らせる継投となったはずではあった。

 しかし、肝心の岩瀬が1死満塁のピンチを迎え、山井を救援に送ることになる。

最後の最後でチームを空中分解させた「70'sバトル」。

「そんなことは投手コーチに聞いてくれ!」

 山井がサヨナラ打を浴びて逆王手をかけられた東京ドームの三塁側通路。高木守道監督は、この継投に怒りをにじませてこう言い放ったという。なぜ岩瀬だったのか、なぜ、三振のとれる浅尾ではなく山井だったのか……。

 シーズン中から御年71歳の高木監督と73歳の権藤コーチの間で繰り広げられた「70'sバトル」は、最後の最後で強烈な火花を散らし、その火花が引火したように最後の最後で、チームは本当に空中分解して散っていった。

 この敗北から2日後の10月24日。中日は今季限りでの権藤コーチの退団を発表した。

「契約満了による退団。それだけ。無念の思いはない」

 こう言ってユニフォームを脱いだ権藤博は最後まで「ダンディズム」を貫き、そして散っていったのである。

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