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<特別インタビュー>
2度の地獄を味わった21歳の若武者、
FC東京・米本拓司の復活ロード。
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byToshiya Kondo
posted2012/09/22 08:01
FC東京では今季半ばからほとんどスタメン出場を果たしており、ケガのブランクを感じさせないセンスあるプレーを再び見せつけている。
11カ月ぶりに戻ってきたピッチであふれ出た感情。
ランコ・ポポビッチ新監督を迎えた今季。3月17日、第2節の名古屋グランパス戦でのこと。試合も残りわずかとなったところで米本は指揮官に呼ばれた。11カ月ぶりのピッチだった。「ボールをフリーで蹴らせるな」という指揮官の指示のもと、前線まで激しくボールを追い掛け回した。
試合後サポーターに出向いたあいさつで、長く深々と頭を下げた。
米本は泣いていた。
サポートしてくれた周囲への感謝、待っていてくれたサポーターへの感謝、そして昨年12月に亡くなった父親への思い――。
「確かにいろんな感情がありました。多くの人に支えられて復帰できたし、父親が亡くなったということもありましたから。(兵庫から出てきて)東京まで試合を観に来てくれていましたし、手術して入院していたときも一番、傍にいてくれたのが父でした。その父親に、復帰した姿を見せてあげられなかったという悔しさも実はありました。そんないろんな感情があって、抑え切れなくなりました」
ロンドン五輪は「中期の目標」に置いていたが……。
心身ともにひと回り大きくなった。
復帰してからの米本はパワーがついてきたという印象を受ける。何でもかんでもボールにアプローチするのではなく、タイミングと試合状況を考えながらプレーしているようにも見受けられる。
ポポビッチからは「ガムシャラなだけの選手になるな。考えてプレーしろ」と口酸っぱく言われているという。もちろん、まだ試合勘の問題やパスミスも多い。昔にくらべて寄せが甘いところもある。
とはいえ、米本の復帰はU-23代表を率いた関塚隆の関心をひいた。ロンドン五輪本大会メンバーには選ばれなかったものの、1年以上も招集されていないにもかかわらずバックアップメンバーとして選出された。ここでも彼に対する高い評価が見てとれる。
「(プロに入ったとき)近い目標、中期、長期の目標と立てていて、ロンドン五輪を中期の目標に置いていました。本大会のメンバーに入れるとは思ってなかったけど、できれば入りたかったというのはあります。でもみんな頑張っていい成績を収めてくれたので、あらためて自分も負けたくないっていう気持ちになりました」