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<特別インタビュー>
2度の地獄を味わった21歳の若武者、
FC東京・米本拓司の復活ロード。
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byToshiya Kondo
posted2012/09/22 08:01
FC東京では今季半ばからほとんどスタメン出場を果たしており、ケガのブランクを感じさせないセンスあるプレーを再び見せつけている。
期待の星の高卒ルーキーを襲った2度にわたる試練。
復活にはやる気持ちを抑えるように、自分自身に対して慎重にプレーするよう言い聞かせ続ける……。そんな葛藤と戦う日々でもある。しかし、これまでの苦しみと比べれば、葛藤に打ち勝つことはそう難しくはないはずだ。
米本は21歳ながら、ここまで紆余曲折を経てきている。
FC東京に入団した2009年、彗星の如く現れた高卒ルーキーはすぐにレギュラーの座を奪って注目を集め、ナビスコカップ決勝ではMVPとニューヒーロー賞を獲得した。岡田武史の目に留まり、2010年1月のイエメン戦でA代表デビューを飾っている。対人の強さやボール奪取能力ばかりでなく、展開力などパスセンスでも光るものがあった。近い将来、日本代表を背負う逸材として、高い評価を得ていたのだ。
しかしここから試練が訪れる。
2010年2月、練習中に左膝前十字じん帯を損傷して手術を余儀なくされ、復帰まで約8カ月を要することに。そしてその半年後、再び同じ箇所を痛めてしまう――。絶望の淵に叩き落されたのだ。
「1回目のケガから5年後とかだったらまだしも、すぐだったんでショックはそりゃあ大きかったですよ。手術後の痛みだったり、同じリハビリをもう1回やらなきゃいけないわけですから、それを考えただけでもへこみました。リハビリして歩けるようになり、ちょっと走れるようになるとサッカーの映像を見られなくなりました。見るとどうしてもボールを蹴りたくなってしまうから。そこを抑えるのが一番つらかったですね」
「サッカーをやれるありがたみを噛み締めた」
「精神的に浮き沈みも激しかったように思います。(長期離脱の経験がある)ナオさん(石川直宏)にも3カ月に最低でも1回はひどく落ち込むものだから、悩んだうえで切り替えればいいんだって言われて、凄く救われた気がしました。再びケガしてサッカーから離れてみて、自分がどれだけサッカーが好きなのかという気持ちを再認識させられたし、サッカーをやれるありがたみというのも今回噛み締めることができた。そういう意味でメンタルは強くなったのかなとは思っています」
病室では一人きりになってMVPを獲得したナビスコカップ決勝の映像を流して、目に焼き付けたこともあったという。なるべく見ないようにしていたサッカーのDVDをセットしたのは、見なければリハビリへの気持ちが萎えてしまうほど追い込まれていたからだった。焦りと不安のリハビリ生活を、彼は乗り越えてきた。