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<ナンバーノンフィクション> 草の根からの王国復活。~体操・田中和仁、佑典、理恵の三兄妹を育てた、体育教師の情熱~
text by
浅沢英Ei Asazawa
photograph byToshiya Kondo
posted2012/07/21 08:00
通訳を通じて耳に飛び込んできた驚くべき言葉とは。
正月明けの北高の体育館にオレンジ体操クラブをはじめ県下のジュニアクラブから120人ほどの子どもたちが集まった。
練習会が始まって田中をはっとさせたのは、このロシア人コーチが指導の間中、ついに1度も体育館の椅子に腰を下ろそうとしなかったことだった。
しかし、それ以上に驚かされたのは、通訳を通じて耳に飛び込んできたアンドレイのこんな言葉だった。
「自分たちは、オリンピック5連覇を成し遂げていた時代の日本の体操をお手本にして、ジュニア指導の方法を作り上げたんです」
田中は、打ちのめされた。
「ショックでした。僕らが期待に胸をふくらませて、さあ、学ぼう、と思ったロシアの体操は、結局僕らが高校や大学で教わっていた体操だったということですから」
だが同時に、「もやもやとしていた」頭の中の霧は晴れた。
「ジュニア世代の筋力トレーニングにしても、体操の指導法にしても、僕や熊さんたちが信じてやっていたことは言わば〈点〉でした。でも、日本から学んだことを科学的に体系的に整理して教え込んでいたロシアの指導理論は、それら〈点〉と〈点〉を、〈線〉で結んでくれました」
理恵が記憶する、自宅に何度かやってきたアンドレイのこと。
田中の記憶に残るのは、ジュニア世代の筋力トレーニングが、ロシアではどのトレーニングをどの順序でやるのかが、きっちり整理されていたことである。
伊熊の回想は、ロシアの指導法の緻密さを、さらに鮮明に浮かび上がらせる。
「アンドレイさんは『このトレーニングは何回までしかやらない。それ以上やっても無駄ですから』と、確信を持って言い切りました」
目の前にいるロシア人コーチが育てた選手に勝たないことには、自分たちの教え子が世界の舞台へ出て行ったとしても、メダルを手にすることは容易ではない。田中や伊熊はそう思わざるを得なかった。
「ホテルの食事ばかりでは飽きるでしょう」と田中が誘うと、アンドレイは楽しそうに田中の自宅にやってきた。
理恵は、1週間ほどの滞在の間、このコーチが何度か自宅にやってきたことを詳しく覚えている。
「ある日の夕食のメニューは、天ぷらでした。しいたけ、玉ねぎ、お肉、それから、おイモ。アンドレイさんもけっこうしっかりと食べていました。お酒も飲んでいたと思います。私たちはお父さんとアンドレイさんの話を聞いていました。何の話をしていたのかは、わかりませんでしたけど」