野ボール横丁BACK NUMBER
沢村賞投手はなぜ翌年不調になる?
田中将大、頂点に立つ男の苦悩。
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byTakashi Shimizu
posted2012/05/09 11:55
復帰の目処がまだ立たない田中将大。「こうなった以上は焦っても仕方がない」と本人は黙々と二軍で練習に励んでいる。「交流戦明けの6月下旬から」という報道もあるにはあるのだが……。
今季の田中将大の不調ぶりを見ながら、彼が駒大苫小牧の3年生だった頃を思い出していた。
フォームを乱し、何でもない打者に「消える」と言われたスライダーを見極められ、150キロ近いストレートをとらえられた。
こんなはずではない――。
彼の表情からは、常に、そんな不満が読み取れた。
それでも時折、「気合いらしきもの」を見せて抑えるのだが、その気持ちは、相手に対する闘争心というよりは自分に対する怒りだった。
その結果、心の内圧が必要以上に高まり、ますますフォームを狂わせた。
田中は高校2年の時点で夏の全国制覇の立役者となり、続く秋もチームの公式戦無敗記録を更新し続けるなど、すでに絶頂を極めていた。ピークにあった2年秋など、相手チームの各打者は、田中を打つ打たない以前に、そもそもバットにさえ当たらないような状態だった。
だが、監督の香田誉士史はそんな状態を危惧していた。
「怖かったよ。これ以上、どうやったら上にいけるんだろう、って。だって、普通に考えたら、これより上なんてもうないじゃない。だからといって、今のままでいいって言ったら、落ちるのは目に見えているでしょう。どうすればいいんだろうと思ったよ」
結果的に、その不安が的中した形となった。
プロ野球界で頂点を極めてしまった男の、次なる壁とは?
「3年生になってからのあいつは、スライダーを曲げようとし過ぎたんだと思う。スライダー、スライダーって騒がれたから、もっとすごいスライダーを投げてやろう、と。それで体がどんどん横振りになって、真っ直ぐも走らなくなってしまった」
田中の調子はその後、多少上向いた感じはあったものの、結局、2年時のようなすごみは最後まで戻らなかった。それでも3年夏、チームを全国準優勝まで導いてしまうあたりは、違った意味ですごいと言えばすごいのだが。
昨シーズンの田中は、19勝を挙げるなどし、投手として最高の栄誉である沢村賞に輝いた。言ってみれば、プロ野球界でも頂点を極めたわけだ。
その状況は、ちょうど高校2年時と重なる部分がある。
つまり、香田がその頃心配していたように「これ以上、どうやったら上にいけるんだろう」という苦悩が、田中の中にも少なからずあったのではないか。そして、その葛藤が、フォームに表れていたように思うのだ。