野球善哉BACK NUMBER
ライバル澤村に肩を並べるため――。
中日の2年目左腕、大野雄大の意地。
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2012/02/15 10:31
キャンプでは1日に200球を投げ込んで、今中慎二2軍ピッチングコーチに無理矢理止められた大野雄大。「とにかく開幕1軍で」との言葉通り、スタートダッシュを目指した調整を続ける
大学選手権での快投で一躍ドラフトの目玉候補に。
翌年の春には大学選手権に出場。大野はそこでも、日米20球団のスカウトが見守る中で奪三振ショーを演じ、ドラフト1位候補としてその名を轟かせたのだ。
「高校で騒がれた斎藤佑樹(日ハム)が大学に進学することを知ってからは、大学で斎藤と同じ舞台に立つことができれば、人生が変わると思っていました。彼に投げ勝つことができれば、『大野雄大』をアピールできる、と。対戦して勝っても、報道は『斎藤佑樹が負けた』っていう記事になって、僕が勝ったことは小さくしか取り上げてもらえないかもしれないけど、それでもええから、勝って自分の名をあげたろ、と」
斎藤との直接対決はなかったが、反骨心を支えに、3年春、秋、4年春と3たび全国の舞台に立った。
大学日本代表で味わった挫折と中日への感謝。
しかしその後、大野は思ってもいなかった挫折を経験する。全国の舞台で華々しく活躍できたので、当然、大学トップの選手で構成する『大学日本代表』に選出されると思っていたのが、代表候補合宿に参加しただけで、チームからは外されてしまったのだ。
「地方の大学、特に関西の地方リーグからは選ばれないという噂は聞いていました。でも、このストレートを見せたら外されへんやろと思っていたから、落選のショックは大きかった」
この落選から大野には不運がつきまとった。リーグの選抜チームとハーレム国際大会に出場するなど、再起を目指していたが、秋を前にしたオープン戦で左肩を故障。当初は軽症と思っていたが症状は重く、秋のリーグ戦のすべてを棒に振らざるをえなくなった。
学生最後の神宮大会はおろか、リーグ戦ですら投げられない――。
斎藤佑樹や日本代表合宿で互いを意識する仲になった澤村拓一(巨人)を凌駕する評価を得てプロに行こうという大野の野望は、水泡に帰したのである。
それだけに、「上位指名はないだろう」と思っていたドラフトで中日から1位指名を受けた時は、心底喜んだ。その時の気持ちは、嬉しいというより感謝の気持ちだったともいう。
「大学の最後のシーズンは怪我で全く投げられなかった。それでも指名してくれた感謝の気持ちを忘れずにやりたい」
と、入団会見では神妙な面持ちで語っている。