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沖縄人の『なんくるないさ』が弱点?
新垣渚が断絶すべき“負の歴史”。
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byMiki Fukano
posted2010/02/26 10:30
昨年末にチームメイトである杉内俊哉のえりか夫人の実妹・ゆいさんと入籍、心機一転プロ8年目のシーズンを迎える新垣渚。ふたたびローテーション入りを果たし、'06年以来の2桁勝利を挙げられるか?
ちょっと切なくなるような光景だった。
ソフトバンクの宮崎キャンプを訪れたときのことだ。
球場外に、球団グッズのセール品が売られていた。Tシャツもトレーナーもオール1000円。思わずトレーナーの方を衝動買いしかけたのだが、よく見ると、ほとんどが背番号18番なのだ。そう、つまりは新垣渚のものだ。
理由は2つ考えられる。
作りすぎてしまった、もしくは、売れ残ってしまった。
推測だが、ムネリンこと川崎宗則のものならともかく、失礼ながら、新垣の場合は、前者ではないように思える。となると、やはり、後者か……。
人間心理とは微妙なもので、売れ残っているのだと思うと、急に目の前の商品が色あせて見えてきてしまうものだ。
――やめた。
伸ばしかけた手を、結局、引っ込めてしまった。
3年連続2桁勝利のブライテストホープが「暴投王」に転落。
それにしても(売れ残ったという前提で話を進めさせていただきます)、ここ数年の新垣はいったいどうしてしまったのだろう。
入団2年目となる'04年から'06年は3年連続2桁勝利を達成。150kmを軽く超える速球と球界随一とも評されたスライダーなど、リーグを代表する投手になるのも近いと噂されるほどの大物っぷりで、どこから見ても順風満帆な船出に思えた。
ところが'07年から急にコントロールが乱れ始める。
「暴投王」
これが新垣につけられたニックネームだった。
'07年には1シーズン25暴投というプロ野球新記録を樹立し、続く'08年には1試合5暴投という新記録もつくった。
昨年もその悪癖は改善されず、1軍での登板はわずか4試合にとどまった。
傑出した身体能力を持つ沖縄出身者はなぜ活躍できないのか?
ちょうど新垣が下降期に入り始めた頃だった。関西球団の某スカウトから、こんな話を聞いたことがあった。
「今はもう、大阪やからとか、四国やからってことはないんじゃないですか。どこも一緒ですよ。東北の子やからって、気が弱いこともないでしょう。これだけボーダレス化が進んどるんやから。ただ、沖縄の子だけは、優しいイメージがあるなあ……。沖縄の子の身体能力は、ほんまにすごいんやけどな。ほれぼれする。新垣なんて、あんなの本州にはおらんやろ。でも、沖縄ということで評価を差っ引かざるをえない。活躍したの、石嶺(和彦=オリックス→阪神)ぐらいやろ。でも、彼だけ性格が違とったわけやないんですよ。彼は沖縄の性格で成功した珍しい例。向こうの言葉でいう、『なんくるないさ(なんとかなるさ)』ってね。何事にもこだわらないというかね」