日本代表、2010年への旅BACK NUMBER
選手をほぼ無傷で帰還させた
岡田監督のマネジメント力。
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byTamon Matsuzono
posted2009/06/23 06:01
5月25日に合宿が始まって、先日のオーストラリア戦まで約3週間。W杯出場を懸けたアジア最終予選の最後の戦いが、やっと終わりを告げた。
選手の疲労は相当なものだっただろう。そう確信してしまうのは、この期間ずっと代表に同行して取材してきた私も、結構なダメージを食らっているからだ(まったく、選手の比ではないが)。時差ボケの影響なのだろうか、オーストラリアから帰国後も熟睡できない。何度も起きてしまって、常に眠い状態が今でも続いている。
選手たちは自分のコンディションとも戦っていた。
4時間の時差があるウズベキスタンで約1週間、その後日本に戻って中3日でカタール戦をこなし、メルボルンに向かうというスケジュール。
アジアは広い。そのうえオセアニアのオーストラリアまで入ってきて、予選の環境がさらに過酷になったことを、はっきり実感できた。大移動もさることながら、中央アジアは乾燥した空気で、日本は逆に湿気が高いし、メルボルンは冬。場所によって同時期にここまで環境が違っているのは、アジアぐらいのものだろう。
こういった状況のなかで選手は自分のコンディションを整えなければならない。言うは易し行なうは難し、である。
過酷な日程と極端な気候の違いにも苦しめられた。
調整に苦しんだ選手の姿を、いくつか目の当たりにしてきた。
ウズベキスタン戦では内田篤人が発熱で体調を崩し、試合を欠場してしまった。「どんな場所でも眠れる」というチーム一、タフガイの長谷部誠ですら、ウズベキスタンに向かうチャーター機でまったく眠れなかった影響もあって、タシケントでは練習を途中で切り上げて出場を危ぶまれたことがあった。
興梠慎三は発熱、玉田圭司からは「ちょっと体調がよくない時期もあった」と後日、打ち明けられたこともあった。取材を進めれば、そんな声がもっと拾えたかもしれない。
そして、オーストラリア戦では中澤佑二が発熱によって、メルボルンに渡ってから練習に参加できなかった。試合前日にやっとピッチに姿を現したものの、軽いランニングだけで、とても試合に出場できるようなコンディションではなかった。
コンディション管理における中澤の徹底ぶりは有名だ。睡眠、食事を大事にして、摂生を続けるそんな彼が、体調を崩してしまったことに、今回の遠征の過酷さが表れている。カタール戦の前日には、「みんな結構疲れていると思う」と自分のことよりも先に、周囲を心配していた。主将としての気苦労が多少なりとも、あったのかもしれない。
W杯出場を決めたウズベキスタン戦での勝利の後、カタール戦はホームで引き分け、さらにオーストラリア戦は前回のドイツW杯の再現を見るかのような不甲斐ない逆転負け。持ち味のパスサッカーが展開できず、攻守にわたって課題を多く残したのは事実だ。ただ、その戦いの裏では国内2連戦→タシケント→横浜→メルボルンという日程と予選突破の重圧によって、精神的にも体力的にもギリギリの状態で選手が戦っていたことを忘れてはならない。