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続・ライバル物語 江川卓×西本聖 「エースは、1人」
text by
石田雄太Yuta Ishida
photograph byNobuhiko Oono
posted2009/07/20 22:55
翌年“史上最高の日本シリーズ”と呼ばれた西武ライオンズとの戦いの中で、再びエースとしてのプライドをかけた暗闘が繰り広げられたのだ。
Webオリジナル記事となる「続・ライバル物語」。
“ライバル”という言葉は、かくも壮絶な運命を呼び込むのか……。
1983年、史上最高の日本シリーズと呼ばれる巨人と西武との激戦は、巨人が王手を懸けて、第6戦を迎えていた。
この時代、巨人のエースは江川卓、西本聖はNo.2。しかしここまで江川の先発した試合は2敗、西本は2勝と、対照的な結果が残っていた。
“史上最高の日本シリーズ”で、江川と西本のプライドが激突する。
第1戦のマウンドに上がったのは、江川だった。しかし江川は2回に田淵幸一に3ランを浴びるなど、あっという間に6点を失い、ノックアウト。ストレートのキレが影を潜め、カーブで勝負せざるを得ない江川の姿は、シーズン中とはあまりにも異なっていた。実は、江川はこのとき、右足の太ももに肉離れを起こしていたのである。江川が打ち明ける。
「実はあの日本シリーズの直前、100mを走っていて、肉離れを起こしてしまいました。右足をグルグルにサポーターで巻いてましたから、ストレートをほとんど投げられなくて、カーブばかり投げていました」
一方の西本は、第2戦でシュートをインサイドに投げ込み、21本の内野ゴロを打たせて、1981年の日本シリーズ第5戦に続いて、2試合連続完封というシリーズタイ記録を樹立。第5戦では、稲尾和久の持っていた日本シリーズ連続26イニング無失点の記録を25年ぶりに塗り替え、それを29イニングまで伸ばすなど、持ち前の粘り強いピッチングを披露。この2試合のピッチングで、西本は西武打線に対して、苦手意識を植えつけた。
第6戦の先発は、槙原寛己だった。しかし、舞台裏では大きな決断が下されていた。第7戦は順当なら江川に託される舞台だったのだが、第6戦を落とした場合の第7戦の先発を告げられていたのは、西本だったのだ。
江川がついにエースの座を明け渡す。西本は周囲の期待にうち震えた。
ついに江川と西本の順番が入れ替わった。江川は、そのときのことをこう振り返る。
「これは不思議なもので、自分が万全じゃないときは、西本へのライバル心が湧いてこないんです。自分が万全の時には、ニシ、打たれろっていう気持ちが出てくるんですけど、万全じゃないときはそうじゃない。僕が万全で投げられなかった分、ニシに勝ってもらってシリーズに勝ちたいって気持ちになったんです。弱気になっていたんでしょうね」
一方の西本は、こう言った。
「順番がひっくり返ったわけですから、このシリーズはお前に任せた、ということの表れだと思いました。やっと、という感じですよね。でも正直、そのときの江川さんがどう思っていたかということは考えられなかった。そういう余裕もなかったんです」
実際、第7戦は、西本が先発のマウンドに立つことになる。それは、第6戦を巨人が落としてしまったからだ。しかも、槙原が先発したこの試合で、なんと、江川と西本はともにマウンドへ送り出されていた。