Number ExBACK NUMBER
鄭大世はどこから来てどこへ往くのか。
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph byTakuya Sugiyama
posted2008/05/05 17:21
──ところでアフリカっぽいよね?― プレースタイルが。
「確かによく言われます。学生時代は黒人に憧れて筋トレしてました。ヒップホップ好きですしね」
……ますますミステリアス。だけど、ひとつ、こちらがハッとさせられることを言った。
「プロに入るまで、日本人とほとんど知り合うことはなかったんですよ。駅でたむろしているヤンキーと喧嘩をして、その後に仲良くなったりしない限りはね。周りはすべて在日。そんな環境で過ごしてきたんです」
じつに22歳になるまで〈日本デビュー〉の時を待っていたのだ。この在日コリアン3世もまた、現在欧州でプレーしている日本人プレーヤーと同じく、ボーダーを越えてきた。
日本、北朝鮮、そして時々韓国。見えるようで見えないが、しかしはっきりと国境線があった。そこを探れば、Jのピッチに突如あらわれた猛烈ストライカーの正体に近づけるんじゃないか。
プロを目指した朝鮮大時代。しかし、くすぶる日々が続く。
「日本人と知り合えない」。いくら外国人とはいえ、テセは日本語がぺらぺらだ。そんなことがありうるのか?
チョン・テセの出身校、朝鮮大学校を訪れた。いやありうるかも、と思った。
1956年に朝鮮総連が設立した学校は、3年後に東京都小平市にキャンパスを移した。中央線国分寺駅から、西武国分寺線に乗り換え、鷹の台という小さな駅で降りる。新宿からは40分の距離だ。真横にある武蔵野美術大学と同じく、周囲からは隔離された……いやいや、よろしい学習環境にある。そんな立地条件のうえ、学校は全寮制なのだという。
キャンパスには朝鮮語のスローガンがドカンと見え、入学式の時期だからか、時折チマチョゴリ姿の女子学生も見える。こんにちは、と声をかけると、こんにちはと返ってくる。アンニョンハセヨと言えば、アンニョンハセヨ。
テセは、小中高を愛知県の朝鮮学校で過ごした後、ここに入学した。史上初、オール朝鮮学校出身のJ1プレーヤーでもある。
「高校の時などは」とテセは振り返る。「学校の中に『ナントカ委員会』ができて、日本人と交流しようと言ってるほどですから。人によって感覚は違うと思いますが、僕にとってはそれほどに特別なことだったんです」
この学校に入学した理由は、「やるなら最後まで朝鮮学校でやりたかったから」。でも実際にはここしか行き先がなかったと思っている。