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中田翔 「エースで4番」を追いかけて。 

text by

氏原英明

氏原英明Hideaki Ujihara

PROFILE

posted2007/08/23 00:00

 ひとしきりの涙の後、淡々と取材に応じていた中田翔の口が止まった。

 時間にしておよそ5秒ほどの静寂。いつもはスムーズに質問に答える中田にしては長く感じられるこの沈黙を、取り囲んだ大勢のメディアは、固唾を呑んで見守った。

 7月30日、全国高校野球選手権大会大阪府大会決勝の日のこと。高校生随一の怪物と称された大阪桐蔭・中田翔の夏が終わった。試合後のインタビュー、記者から向けられた単刀直入の質問に、彼は一瞬、答えに迷った。

──これからの野球人生、ピッチャーとバッターどっちで挑戦したいですか?

 静寂に耐え切れず、中田が口を開いた。

 「両方で行きたいです」

 数人の番記者から安堵の空気が漏れ、質問は続いた。

──どちらかを選べといわれたら?

 「今は考えられないです」

 結論を先送りしたかのようで、確かにみえた心情の移り。その後も取材は続いたが、彼の口が止まることはなかった。いつものように淡々と取材に応じ、記者会見のごとき囲み取材は終わった。

 ある記者がこうつぶやいていた。

 「あれを聞いて、ほっとしましたね。思い直したんやなって」

 この夏、高校通算本塁打記録を「87」に塗り替え、バッターとして騒がれた中田だが、彼がマスコミの前に初めて登場したとき、最初に印象付けたのは「投手・中田」の姿だった。ところが、2年春に右肘を故障してからというもの彼に付けられたイメージは、「清原以来」と称されるホームランバッターとしての姿。昨年秋に、投手として復活を果たしたものの、思うように肘は回復せず、自分の気持ちとは裏腹に上昇する「打者株」に、中田は投手への想いを封印してきたのだ。この夏の大会前も「上の世界ではバッターとして勝負したい」と公言するようになっていた。

 だからこそ、甲子園への夢が破れ、次なるステージへ進む中田が「投手」の選択肢を語ったことは、長らく封印してきた投手への想いを再燃させたという意思表示だった。入学時の中田の投手としての凄みを知っていた記者たちは、それに安堵したのだ。

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