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中田翔 「エースで4番」を追いかけて。 

text by

氏原英明

氏原英明Hideaki Ujihara

PROFILE

posted2007/08/23 00:00

野球への想いは常に、ピッチングに向いていた。

 中田は元々、投打ともに自信を持っていたわけではない。どれだけ両面で騒がれても、入学当初から「僕はバッターというより、ピッチャー。投手として注目してもらって、ここに来た」と話していた。それは西谷監督も同じで、中学生時代の中田を初めて見たとき「こんな中学生がいるんか」と驚いたのは打棒の方ではなく、投球の方だった。

 実際、中田自身の野球への想いは常に、ピッチングに向いていた。ことピッチングに関しては、人一倍のこだわりを持っていたし、投打のどの部分を比較しても、打者にはなくて投手にしかないものが、中田には多かった。それはこだわり、勝負勘、粘り、繊細さ、経験、修正能力、度胸といったものだった。野球選手としてのプラス要素はすべて、投手の能力に備わっていたのだ。前出の丸山は言う。「繊細さと豪快さを兼ね備えた投手。ピッチャーとしての弱点が全くないですね」

 ピンチになると、簡単に追い込むし、大きなリードをする走者がいれば必ず刺す。バントヒットも許さないし、カバーも怠らない。「投手・中田」にスキはなかった。

 そんな時、中田に右肘の故障という転機がおとずれたのだった。大阪府大会準決勝の浪速戦で故障し、それから約6カ月の間、投手から離れることとなる。故障をしたのが5月だったから、7月になっても投げられない状況が続いたのはもはや重症といえた。結局、高校2年夏は、投手としての活躍を断念。それまで「ピッチングのついで」だったバッティングに、より結果を求めていくことになる。

 ピッチングに向いていたものをバッティングに向けていく。そう意識を変えただけで、中田は本塁打を量産。年間51本塁打の驚異的な数字で、打者としての才能を開花させた。バッターボックスでの風格、放たれる大人びた弾道。ファンは、メディアは、スカウトは、「打者・中田」に多くの期待を寄せるようになった。2年夏は大阪府大会で4試合連続の5本塁打。甲子園1回戦の横浜戦では観客の度肝を抜く、バックスクリーン左への140m弾。バッティングへの注目は日増しに増え、投げられない期間が長引くほど、中田はバッターとして表現されるようになった。

(続きは Number685号 で)

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