記事を
ブックマークする
《メダル5個の理由》フェンシングは“冬の時代”に強化費大胆投入…花の都で開いた20年の取り組みと「真の強豪国」への課題【今も代表ジャージは自前購入】
パリで顔を合わせた日本のフェンシング関係者が、「すごい」「信じられない」と口をそろえるメダルラッシュだった。
1896年、アテネで開かれた第1回近代五輪からの伝統競技、フェンシング。日本が前回大会までに獲得したメダルは計3個。それが、パリでは一気に5個も獲得した。加納虹輝の男子エペ個人は個人種目で初めての金メダルで、女子フルーレ団体の銅は「女子初」、女子サーブル団体の銅は「サーブル種目初」と初めてづくしが続いた。
今風の言葉なら、「多様性」の強さを見せた日本だった。
8チームで争う五輪の団体戦は、初戦に勝てばメダルに王手がかかる。「2勝1敗」で表彰台に上がれる。一見、楽にも見えるが、世界の8強しか舞台を踏めない厳しさ、でもある。欧米の列強、さらに韓国、中国などのアジアの壁に阻まれ、団体戦で五輪に出られない「冬の時代」もあった。
女子フルーレは昨年の世界選手権で16年ぶりに団体銅メダルを手にした。女子サーブルは江村美咲が2022年、'23年と世界選手権の個人戦を連覇するなど、着実に力をつけていた。今回のパリのメダルは、偶然の産物ではない。
男女フルーレ7人に強化費を集中投入「北京が勝負」。
弱小国から脱却するきっかけとなったのは、ある大胆な強化策だった。
男子フルーレ団体が金メダルを取った翌日、筆者はパリからある人物に電話をかけた。太田雄貴が'08年北京五輪でメダルを取ったとき、強化本部長を務めた張西厚志だ。
「ほんま、すごすぎて驚いてますわ」
そう喜ぶ張西の強化の方針は選択と集中の徹底だった。'03年以降、「10年に1人の逸材」と言われた太田を含む男女フルーレの7人を特別強化選手に指定し、彼らに北京五輪に向けた強化費全体の9割近い約6000万円を投入した。東京都北区にある練習拠点の国立スポーツ科学センター(JISS)近くに下宿させ、家賃、食費、遠征費を日本フェンシング協会が丸抱えした。
「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています