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【夫人が明かす最期】「こんな弱々しい姿を…」曙太郎、傷つきやすい素顔と“プロレス参戦の異変”「私のことは常にママと呼んでいました」

2024/07/01
今年4月に逝去した曙太郎とクリスティーン麗子夫人
今年4月、一時代を築いた元横綱が心不全でこの世を去った。ハワイで大相撲にスカウトされ、外国出身力士として初の横綱に。格闘技やプロレスにも臆せず挑み、最後は病と闘った。現役時代、そして闘病生活を支えたクリスティーン麗子夫人が愛する夫との日々を語った。(原題:[夫人が明かす素顔と最期]曙太郎「“僕なかなか頑張ったよな”って」)

 大将――私や我が家の両親は、家では彼のことをそう呼んでいました。

 急性心不全で倒れてから、その後遺症などで7年間にわたる闘病生活でしたが、4月にこの世を去りました。

 葬儀が終わって、私も3人の子どもたちも日常に戻っています。長女はミネソタ州にいて、長男はハワイ。次男は日本。昨日は長女の誕生日で、「お父さんがいない誕生日は初めて。やっぱり心に穴が開いている」と言っていました。

 葬儀はハワイ式と日本式をミックスしたスタイルでした。大将は生前、知人のお葬式に参列するたびに「日本式は暗い感じがして嫌だ。僕の時はハワイ式でにぎやかにしてほしい」と話していました。だからみんなアロハ姿で、ウクレレやギターの生演奏があったり、フラを踊ったり。彼の叔母が棺に花を入れた時、叔母のパンツのゴムが切れて落ちちゃったんです。「きっとチャド(曙の本名)のいたずらね!」って、いたずら好きだった大将らしいなと思って、みなで泣き笑いでした。

 お骨はふたつに分けて、ひとつは日本に、もう半分はハワイに持って帰り、海か山に散骨すると思います。

 You can take the boy out of Hawaii, but you can't take Hawaii out of the boy.

 ハワイの少年に島を離れさせることはできても、ハワイの心は少年の中にずっと残る、という言葉です。彼はやはり故郷への想いが深く、「ハワイよりも日本にいるのが長くなってしまうのは嫌だな」と言っていました。18歳で来日して、日本にいる年月のほうがずっと長くなってしまいました……。いつかはハワイに戻って残りの人生を過ごしたかったのでしょう。

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photograph by Getty Images / Hideki Sugiyama

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