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《日本男子初のメダル》ゴルフ・松山英樹がいつも以上に「結果にこだわった」理由<五輪は賞金がなくても理想的な競争の場に>

2024/08/19
パリ五輪で銅メダルに輝いた松山英樹
東京でプレーオフに敗れ、4位に終わって3年。日本ゴルフ界のエースは雪辱の舞台に臨み、メダルを獲るためのラウンドに徹し切った。我慢して、執念を見せた先に描く理想とは――。(原題:[日本男子ゴルフ初の偉業]松山英樹「結果を出す一打を重ねて」)

 雨の土曜日だった。時刻は朝6時。

「さあ、行くぞ」

 と松山英樹は言った。チームの面々は一瞬なんのことかと思ったが、すぐにコースに練習しに行くのだと理解した。

 男子ゴルフ競技の初日は5日後。代表スタッフには「まだ準備できてない可能性もあるので日曜日から……」と伝えられていたが、そんなことは問題ではなかった。コースに到着すると案の定まだ準備中で、普段使っているメーカーのボールすら置いていなかった。だが、本人にはそれでも何か確認すべきことがあったのだろう。雨の中で黙々と2時間半も打ち込んだ。

 日曜と月曜は9ホールずつの練習ラウンドだったが、3時間もかけて念入りに確認した。その前後にはそれぞれ2時間以上、一球ごとに弾道を測りながらショットなどの練習をしている。理想を求めて妥協しないのはいつものことながら、今回の熱心さはいつも以上だと周囲は感じていた。

「もし金メダルを獲れたら……」

 日本代表監督の丸山茂樹は、その思いが垣間見える言葉を聞いたという。

「『このままシーズン最後のプレーオフは最終戦まで休んでもいい。日本に戻ってもいい』くらいのことを言っていた。年齢も重ねてきたし、4年後は30代後半になる。今ここでしっかりメダルを獲っておきたいという思いは相当強かったんじゃないか」

五輪のゴルフ、トッププロの臨む意識も変わった。

 ゴルフが112年ぶりに五輪競技に復活したのが2016年のリオ五輪。松山は現地でのジカ熱の拡大などを理由に代表を辞退した。相当数のトッププロが同じ判断をしたように、ゴルフ界における五輪のプライオリティーはそれだけ低かった。

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photograph by Tetsuya Higashikawa / JMPA

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