世界女王として臨んだ東京オリンピックでの銀メダルは、自分を追い込み続けた彼女にとって不本意な結果だった。悔し涙から3年――。自分への優しいまなざしを得て、新たな心境で2度目の大舞台に立とうとしている。(原題:[連載 パリへ翔ける(7)銀メダリストの変貌]梶原悠未「ごめんねからの再スタート」)
パリオリンピックの自転車オムニアムで金メダルを狙う梶原悠未は、里山の風景が広がる静岡県伊豆の国市を拠点にしている。日本代表レベルの選手たちが強化の拠点としている伊豆ベロドロームへは、自宅から自家用車に乗れば10分ほどで通える。
3年前の夏、そのベロドロームを舞台にした東京オリンピック最終日、前年の世界選手権覇者として臨んだオムニアムで梶原は銀メダルに終わった。最終種目でゴールした梶原の目には、悔し涙が溢れていた。
観客席の最前列に母・有里さんの姿を見つけて駆け寄ると柵越しに手を握りながらこう伝えた。
「銀メダルでごめんね」
母に伝えた落胆と自分を責める感情とは裏腹に、表彰式では銀メダルを掲げながら笑顔を振りまき、その後の記者会見では「パリで金メダルを取ります」と宣言した。梶原の初めてのオリンピックは、そうして幕を下ろした。
世界を目指す環境を「自分で作ろう」
東京で2度目の夏季オリンピックが開かれると決まった2013年、自転車界に「天才女子高生」として現れたのが梶原だった。
1歳で水泳を始め、競泳で小学生の全国大会に出たが、中学では全国に手が届かず、「高校でも目標を達成できなかったらと思うと続けるのが怖かった」。筑波大附属坂戸高で自転車競技を始めたのはそんな気持ちからだ。そしてその数カ月後には、全国高校総体の舞台に立っていた。
世界の舞台でも頭角を現し、高校3年時のジュニア世界選手権ではトラック2種目での表彰台に加えてロードレースでも4位。トラックの中距離4種目を1日で走り、その総合成績を争う「オムニアム」でメダルを期待される存在になった。
全ての写真を見る -1枚-
特製トートバッグ付き!
「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています
photograph by Mutsumi Tabuchi