弟・博幸は2010年、切れ味鋭い追い込みで、兄よりも早く ダービー王とGPレーサーの称号を掴み、頂点を味わった。
競輪道を真摯に歩む二人の人生の光芒が放つ、熱き魂の物語。
競輪界最大のレース、「KEIRINグランプリ2012」は12月30日、調布・京王閣競輪場で行なわれた。1着賞金1億円。勝者は年間の賞金王となり、2013年、ナンバーワン選手を意味する白いユニフォームの1番車を背負って走り続ける。
映像が残っている。レース前、夜間照明が満員の場内を照らし、大粒の強い雨がバンクを打っている。大一番の勝負のとき――。緊迫した気配が伝わってくる。
各スポーツ紙の予想欄。二重丸は武田豊樹、成田和也、長塚智広……と散らばっている。京都の村上義弘は4番車。38歳。無印なのは、練習時に肋骨を骨折したというニュース等が伝わっていたからであろう。もとより最高クラスS級S班の一人、実績とキャリアは十分であった。
「周りが雨を嫌がるなら自分が有利」と語った村上義弘の激走。
選手にとって、走路が滑る雨は嫌なものだろう。ただ、村上は雨を苦にしないという評もある。
「ああ降ってるな、と思うだけで気にはしないですね。周りが雨を嫌がるなら自分がそれだけ有利とも思う。それに、実はあんなに激しい雨が降っていたんだとわかったのはビデオでレースを見返したときなんです。それほどレースに向って集中していた」
競輪は「ライン」の形成が軸となるが、近畿勢は村上一人。「単騎」であった。ジャンが鳴り、残り1周半。各車の動きが激しくなる。最終2コーナー、先行する深谷知広の3番手にいた村上は果敢に捲りを仕掛け、3コーナーで早くも先頭へと躍り出る。
「描いていた通りの展開でしたね。ゾーン的な感覚というのか、前は無論、後ろの車体も視えていて、選手たちの心の中も感じるようなといいますか……。踏み込んで行く一瞬のタイミングだけを計っていた。多分、深谷が仕掛けるだろう。自分は自分のタイミングで行くと。アタマよりも体が反応していました」
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