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「反則を見逃し、ヒール軍団に肩入れ…」前代未聞の“極悪レフェリー”阿部四郎の正体を終え!《山本譲二は「強気で羽振りのいい人間を演じていた」と証言》
「阿部ちゃんはね、ホントにいい人。ものすごく優しかったんだから」
かつて「極悪レフェリー」として名を馳せた阿部四郎について尋ねると、ダンプ松本は懐かしそうに語った。また、2024年、WWE殿堂入りを果たしたブル中野は『KAMINOGE vol.66』(東邦出版)で、こんな言葉を残している。
《阿部ちゃんのあのレフェリングがあって、ダンプさんがいて、クレーンさんがいて、私がいてって、ホントこの4人というのはいいユニットになってたと思います》
1940(昭和15)年生まれの阿部とダンプとは20歳、ブルとは30歳近い年齢差があるにもかかわらず、両者とも「阿部ちゃん」と「ちゃん」付けで呼んでいる。
「それは当然のことですよ。だって、《阿部ちゃん》は《阿部ちゃん》だから(笑)」
そう語るのは、極悪同盟ナンバー2のクレーン・ユウである。
「もちろん、私たちだって入門直後の頃は《阿部さん》と呼んでいました。でも、先輩がみんな《阿部ちゃん》と呼んでいるのを聞いているうちに、自然に私たちも《ちゃん》付けで呼ぶようになりました。私たちよりもずっと年上だったけど、どこか憎めなくて、かわいいところがあったから」
'80年代半ば、全日本女子プロレス(全女)は空前の大ブームを迎え、長与千種とライオネス飛鳥のクラッシュ・ギャルズとダンプ松本率いる極悪同盟の過激な抗争が多くのファンの心をわしづかみにしていた。
縞模様のシャツに赤や緑の原色のパンツを穿いて、腰にはドクロのバックルが光り輝くベルト。足は短く小太りで腹が出ていて、一度見たら忘れられないパーマヘアの阿部が、「高速カウント」や「反則黙認」に代表される極悪同盟に肩入れしたレフェリングを繰り返すことで、会場のファン、テレビの前の視聴者はさらにヒートアップする。その存在感は際立っていた。
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