昨秋の第43回ジャパンカップはイクイノックスによる4馬身差の圧勝劇で幕を閉じた。それにより、IFHA(国際競馬統括機関連盟)が発表した2023年の世界のGIトップ100で、そのジャパンカップが「2023年ロンジンワールドベストレース」を受賞し、世界一に認定された。
これは上位4着までの馬の公式レーティングの平均値で決まるランキングだ。2位はドバイシーマクラシック、3位は凱旋門賞。この並びを見るだけでも、1位獲得がいかに大きな栄誉なのかがわかる。
ジャパンカップは、なぜ、世界一のレースになることができたのか――。
「世界に通用する強い馬作り」を合言葉に、日本初の国際招待レースとしてジャパンカップが創設されたのは1981年のことだった。同時に、それまで主に11月下旬に行われていた天皇賞・秋が10月下旬に移動し、'84年に距離が3200mから2000mに短縮された。つまり、ジャパンカップの創設は、日本の中・長距離GIの体系を大きく改革する動きの中核でもあったのだ。
第1回ジャパンカップは、GI勝ちのなかったアメリカの牝馬メアジードーツがレコード勝ちした。日本馬の最高着順はゴールドスペンサーの5着で、前年の年度代表馬ホウヨウボーイは6着に終わった。第2回も日本馬は5着が最高と、創設当初は外国馬にまったく歯が立たなかった。
しかし、第3回で天皇賞馬キョウエイプロミスが頭差の2着に迫ると、翌'84年の第4回で、ついに歴史が動く。1番人気は、前年、史上3頭目のクラシック三冠馬となったミスターシービー。2、3番人気は外国馬で、4番人気はこの年無敗の三冠馬となったシンボリルドルフだった。史上初の三冠馬対決としても注目されたこのレースを制したのは、2頭の三冠馬でも外国馬でもなく、10番人気の伏兵、カツラギエースだった。道中、2番手を10馬身ほども離す大逃げを打ちながらスローに落とし、鮮やかに逃げ切ったのだ。
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